百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年10月21日土曜日

自由の人と死

定理六七 自由の人は何についてよりも死について思惟することが最も少ない。そして彼の智恵は死についての省察ではなくて、生についての省察である。
証明 自由の人すなわち理性の指図のみに従って生活する人は、死に対する恐怖に支配されない(この部の定理六三により)。むしろ彼は直接に善を欲する(同定理の系により)。言いかえれば彼は(この部の定理二四により)自己自身の利益を求める原則に基づいて、行動し、生活し、自己の有を維持しようと欲する。したがって彼は何についてよりも死について思惟することが最も少なく、彼の智恵は生についての省察である。Q.E.D.
スピノザ「エチカ」(畠中尚志訳/岩波文庫)、第四部「人間の隷属あるいは感情の力について」より