百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年9月23日土曜日

ルイス・キャロルの数学と私

先週、拙著「測度・確率・ルベーグ積分」(講談社)が出版されて今は、あんなに何度も校正したのに沢山残っていた間違いや誤植にため息をついているところである。サポートページの正誤表を更新してはいるものの、改訂のチャンスがあればよいのだが。

それはさておき、今まで沢山出版されている測度論と確率論の教科書に対する拙著の特色は、薄い、軽い、数学の専門家向けではない、などの他に、ルイス・キャロルにかなりページ数を割いて言及していることである。おそらく、一言でもキャロルに触れた現代的確率論の本は他にないだろう。

私は以前から、ルイス・キャロルの "Pillow Problems"「枕頭問題集」の確率に関する(複数の)問題の単純な間違いを、なぜ誰も指摘しないのか、とフラストレーションを感じていた。ほとんどの訳者は数学の知識、特に現代的確率論の知識を持っていないため、気づかないのは仕方がない。そもそもマイナな作品のため、気づいた読者も特に公には言及しないのだろう。しかし私としては、いつか機会があれば、このことを書きたいと思っていた。

また、随分と前のことで経緯は忘れたが、某出版社からルイス・キャロル全集の企画を手伝ってほしいと頼まれたことがある。数学に関する業績も入れたいから、数学が主題の論文や記事の内から主要なものを選んで訳してほしい、とのことだった。今なら話半分に聞くが、当時の私は真面目だったので、キャロルの業績がほぼ網羅されている、イギリスで出版された全集の大量のコピーを一ヶ月ほどかけて熟読したのだった。そして、重要かつ代表的と思われる論文数編を選び、翻訳もした。しかし、良くあることながら、その企画はお流れになったらしく、編集者も何の連絡もしてこなくなった。

おかげで私はキャロルの数学的業績に通じることになった。初歩の論理学、代数、暗号、円積問題(円と面積が等しい正方形の作図問題)などは予想の範囲内だったが、公平なトーナメントや選挙の方法に関する論考や提案など、シリアスな貢献と言えなくもない仕事もある。キャロルの数学の世界の全体に目を開かされたことは良い経験だったが、直ちに何かに生かせるわけではない。まあ、無駄骨を折ったわけで、こういうのを「教養」と呼ぶのかも知れないが、いつか何かの形にできないものかとも思っていたのである。

私見ではルイス・キャロル(Dodgson, C.L.)の数学的業績は、おそらく、大したものではない。しかし、19 世紀末というある意味で絶妙の時期に、キャロル的としか言いようのない独特のセンスで活躍したため、数学史・科学史的に興味深い題材になっていると思う。例えばその一つが、今回「測度・確率・ルベーグ積分」でも触れた、測度論誕生前夜のエピソードとしての「ランダムに選んだ数が有理数である確率、無理数である確率」を巡る論争である。

以上の二つの理由から、このあたりのことについて何か文章を残したいと思っていたところに、「応用者向けの測度論の入門書を書かないか」と出版社から相談され、正直に言うと、導入部でキャロルについて書きたいばっかりに二つ返事で引き受けたのである。そして無事に出版までたどり着けたが、説得力のあるイントロダクションになっているかどうかは、読者諸氏のご判断に任せるしかない。もちろん私自身は、欲求不満の一部を解消できたこともあり、けっこう気に入っている。