百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年9月15日金曜日

秀山祭九月大歌舞伎

歌舞伎座にて昼の部を観劇。「彦山権現誓助剱(毛谷村)」、「道行旅路の嫁入」、「極付 幡随長兵衛」。毛谷村はけっこう好きな話。物凄い御都合主義なのだが、それが可笑しみで気にならない。今回は菊之助のお園が良かったような。「道行旅路の嫁入」は忠臣蔵からの舞踊。戸無瀬役の藤十郎をありがたく拝見させていただく演目か。最近、幡随長兵衛をよく観ているように思うのだが気のせいだろうか……長兵衛の女房を演じる魁春がなかなか良い。

ところで、お酒を飲みながら観ていたら、幕間に見知らぬお婆さんから「江戸切子ですか? 素敵ですねえ」と話しかけられた。昔から、年上にモテる私である。

2017年9月12日火曜日

ひと夜さ

わたしたちは、かつて、目が覚めていたし、やがて、ふたたび、目を覚ますであろう。人生は、ひとつの長い夢に充たされたひと夜さであり、夢のなかでは、人は、とかく、うなされる。
「自殺について」(ショーペンハウエル著/石井立訳/角川ソフィア文庫)より

2017年9月9日土曜日

エアコンの水漏れ

この前、新調したばかりのエアコンの下に置いてあったペイパーバックが、ぐっしょり濡れて黴だらけになっていることに気付いた。知らないうちに、エアコンから水漏れしていたのである。慌てて業者に連絡をして、対応してもらった。

これが私にとっての、最近の大事件。あの人はお気楽だから人生の悩みと言ったら、花に虫がついて困るくらいのものだよね、と言われるような生活を理想としているのだが、また理想状態に戻った。「閑雅なる君のかなしみ苧環の花芽に繭ごもる蟲ありと」(塚本邦雄)。

ところで、自分でも調べたり、業者の方から聞いたりして、エアコンの排水の仕組みについて知ったことが面白かった。エアコンに冷房時用の排水管があることは知っていたが、まず、そんなに大量に排水しているものだとは思わなかった。しかし、日本の蒸し暑い夏の空気を冷やせば大量に水分が凝結し、それが適切に排水されないと、エアコン内にたまった水が盛大に零れ落ちてくるのは当然である。

また、排水の仕組みが単に重力任せだということも知らなかった。冷却器の下に受け皿があって、そこから配管の傾きで水を流し出すだけのシンプルな仕組みなのだ。だから、不具合の原因の特定や解消も簡単である。配水管の詰まりを取り除くための手動のポンプ(通販で安価に売っている)があれば大抵解決するし、エアコンのカバーさえ外せるなら素人でも 100% 問題を同定し解消できるな、と思った。とは言え、私なら業者を呼ぶが。

そんなわけで、被害にあったペイパーバックを陰干しして、何とか読めるようにならないかなあ、と期待している今日この頃。


2017年9月7日木曜日

人間の状態

ここに幾人かの人が鎖につながれているのを想像しよう。みな死刑を宣告されている。そのなかの何人かが毎日他の人たちの目の前で殺されていく。残った者は、自分たちの運命もその仲間たちと同じであることを悟り、悲しみと絶望とのうちに互いに顔を見合わせながら、自分の番がくるのを待っている。これが人間の状態を描いた図なのである。
パスカル「パンセ」(前田陽一・由木康訳/中公文庫)、第三章「賭の必要性について」、第二〇〇項

2017年9月3日日曜日

大皿と小皿

また、会期終了ぎりぎりにならないと行かないの法則で、根津美術館の「やきもの勉強会 食を彩った大皿と小皿」をようやく観に行ってきた。根津美術館は久しぶり。

確かに小皿って「銘々」の皿だから、大昔から食事の場にあったわけじゃないんだなあ、と当たり前のことを思う。私は大皿料理を「パーティ系」、小皿や小鉢の料理を「愛人系」と勝手に(たぶん桃井かおりさんにならって)呼んでいるのだが、小皿料理は愛人系の人の要請で誕生したのではないか。いや、真面目にそう思ってます。

ところで、私の実家で小皿一般のことを「おてしょう」と呼んでいるのを方言だと思っていたのだが、展示の説明の中に「手塩(皿)」という言葉が沢山あって、標準的な言葉だったのだな、と今さら知った。