百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年6月27日火曜日

数学を勉強する楽しさ

何の足しにもならない趣味として、平日の毎朝、数ページずつ読んでいた「数理論理学」(鹿島亮/朝倉書店)を今朝、読了した。親切かつ優しい解説で、非常に読み易かったし、直観主義論理やクリプキモデルのところが特に面白かった。

やはり数学は入門のところ、つまり、未知の分野の初歩を勉強するのが一番、面白い。研究が仕事の専門の数学者になると、まだ誰も知らない未踏の荒野を探索するという本格的な楽しさがあるわけだが、ある意味でそれは大人の楽しみというか、トータルでは苦さや辛さや虚しさや自己嫌悪の方が大きいくらいの楽しさである。ピアノって楽しいですかとピアニストに訊くようなもので、そういう問題じゃないのである。しかし、一方、未知の分野に入門するのは子供の、無邪気な、楽しいばっかりの楽しさだ。

「いやあ、面白いことを考えるもんだね、なるほど、こうなるのか、とするとこうなるんだろう、え、そうなのか、なるほどなあ、じゃあこんなことも言えるのか」、なんてやっていれば良いわけで、この段階で自分で導くことなんてずっと昔に誰かが証明済みで、その分野では既知も既知、誰でも知っていることなのだが、それはそれで全然構わないわけだ。面白いから勉強しているだけなので。

明日からは「ベーシック圏論」(T.レンスター著/斎藤恭司監訳・土岡俊介訳/丸善出版)を読む予定。もちろん、圏論のことはほとんど何も知らない。つまり私は「蛇の補題」とかを再発見しちゃうかも知れないわけだ。