百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年5月19日金曜日

演芸場に遊ぶ

知り合いにお誘いいただいて、上野鈴本演芸場の昼の部に行く。お酒を飲みつつ、落語やその合間の紙切りや独楽の曲芸など。意外に沢山の客が入っていた。古典落語は「金明竹」、「紙入れ」、「へっつい幽霊」など。やはり生で聴くのは良いものだ。

ご一緒した方が邦楽に詳しく、紙切りでお題をもらって切る間の三味線のお囃子は、長唄からそのお題にちなんだ曲を弾くことが多い、などと色々と教えてもらう。例えば、お客が「○子様の婚約発表」というお題を出すと、曲は「鶴亀」だったりする。その場で咄嗟に弾くのだから、大したものだ。世の中には名も顔も知られぬ名人がいる。しかし、「バナナ」とか「象さん」とか求められたらどうするのだろうか。

噺家の出囃子も長唄からとることが多いようだ。丁度、三味線漫談では昔の有名な噺家の出囃子を弾いてみせたりしていて、なかなか勉強にもなった。

夕方終わって、近所の蕎麦屋で軽く食事してから帰る。お酒も入って良い気分で、三味線漫談で聴いた「東雲節」など口遊みつつ、帰宅。