百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年5月31日水曜日

Quantum Computing since Democritus

今朝、"Quantum Computing since Democritus" (S. Aaronson / Cambridge) を読了。一年くらいかかったように思ったが、読書メモを参照するとまる二年以上を費していた。

私がこれまで読んだ一般読者向けの科学啓蒙書の中では、最も知的な本だった。計算複雑性の理論の入門書(?)なのだが、本当に分かっている人はこんなに色んなことと自分の研究分野がつながって、しかもすっきりと見えているのだなあ、と感心。

この "Quantum ..." より知的なのは、おそらく "The Road to Reality" (R. Penrose / Vintage) くらいか。ただし、私はこの本を途中で挫折して、四分の一程度しか読んでいないので、定かではない。暇だし、再挑戦してみようか。

しかし、"The Road to Reality" が "The Sunday Times Top Ten Bestseller" って本当なのだろうか。"Times" の購読者は一体どこまで知的なんだ。

2017年5月27日土曜日

最大の悩み

昨日、夕方から白金台のホテルの中国料理屋にて、社員や元社員の皆さんから私の慰労会をしていただく。まだ(非常勤の)役員をしているので歓送会とまではいかないが、代表兼社長は退いたので、これまでお疲れ様でしたということで。先代の社長からは結構な白ワインをお祝いにいただいた。

実際のところ、私が代表兼社長を勤めたのは二年と三ヶ月ほどだし、それも大会社の社長とは違って気楽な上に暇で、社員の皆さんにお疲れ様と言っていただけるほどのものでは全然なかったのだが、何にせよ、私からすればありがたくも恐縮であった。

隠居して毎日何をしているんですか、と良く訊かれるのだが大抵、「いろいろ」と答えている。実際いろいろなのである。つけ加えて、「こんな幸せなことはなかった」とも言っている。ショーペンハウアーの「幸福について」に、自由とは朝な朝なに今日の一日は私のものだと言い切れることだ、と書かれていたように記憶しているが、実際、毎朝、さて今日は何をしようかなあ、と思う毎日である。また同書に、その人が幸せかどうかは悩みがいかにささやかでつまらないものかで分かる、とも書かれていたと思う。私の今の最大の悩みは、浴室のカランの水の出が悪いことである。

2017年5月25日木曜日

落語とブラッドベリ

月末締切の原稿もほぼ上げたし、ヴェランダのタイルも復旧させたしと、今週は思いがけなく作業が捗ったので、午後はまた落語を聴きに行こう。と、おむすび(沢庵と海苔)と茹で卵とお茶と「火星年代記」(ブラッドベリ著/小笠原豊樹訳/ハヤカワ文庫)を持って家を出る。鈴本演芸場の五月下席、昼の部。

主任の柳家さん喬の「八五郎出世」が感動的だった。泣かせる。良く知らないが、きっと名人に違いない。トリ以外では柳亭小燕枝の「小言幸兵衛」が良かった。歌舞伎の道行の台詞の真似が本当の歌舞伎役者みたい。いや、下手な役者よりうまいくらい。

帰宅して湯船で「火星年代記」の続き。これってまるで落語だな、と思った一日。第二探検隊の顛末なんて、落語以外の何ものでもない。そう思うと実は、ブラッドベリはどの作品も落語なのではないか……と帰宅してからずっと考えている。


2017年5月22日月曜日

失われた本を求めて

裏長屋の隠居とは言え、あまり家に籠っていては身体に悪いかなと思い、外出。近所のインド料理屋でランチを済ませてから、日本橋に映画「メッセージ」を観に行く。テッド・チャンの短篇「あなたの人生の物語」の映像化。そのあと、神保町に行って、古書店巡りと珈琲屋での一服。

古書店で思いがけない本を見つけて、文字通り小躍りしてしまった。私が中学生の頃、ミステリ小説の愛好家だった叔父から譲り受けた中にあったもので、ミステリと SF の世界への道案内をしてくれた思い出深い一冊である。しかし、いつの間にか紛失してしまった。

遠い昔のことなので、タイトルも著者も忘れてしまい、ミステリと SF の両方をテーマ毎に面白おかしく紹介している、日本人の SF 作家が書いている、文庫本である、くらいの記憶しか残っていない。もちろん、今ではインタネットで小一時間も検索すれば判明するのだろうが、いつか偶然に古本屋の軒先の百円均一棚で見つけることもあるだろう、と再会を楽しみにしていたのである。

そして今日、百円均一棚ではなかったが、古書店の棚に発見。背中を見たとたんに、「もしやこれでは!」とビリッと来た。そして、手にとると確かに見覚えのある表紙。それは「夢探偵」(石川喬司著/講談社文庫/「SF・ミステリおもろ大百科」(早川書房)の改題)であった。

2017年5月19日金曜日

演芸場に遊ぶ

知り合いにお誘いいただいて、上野鈴本演芸場の昼の部に行く。お酒を飲みつつ、落語やその合間の紙切りや独楽の曲芸など。意外に沢山の客が入っていた。古典落語は「金明竹」、「紙入れ」、「へっつい幽霊」など。やはり生で聴くのは良いものだ。

ご一緒した方が邦楽に詳しく、紙切りでお題をもらって切る間の三味線のお囃子は、長唄からそのお題にちなんだ曲を弾くことが多い、などと色々と教えてもらう。例えば、お客が「○子様の婚約発表」というお題を出すと、曲は「鶴亀」だったりする。その場で咄嗟に弾くのだから、大したものだ。世の中には名も顔も知られぬ名人がいる。しかし、「バナナ」とか「象さん」とか求められたらどうするのだろうか。

噺家の出囃子も長唄からとることが多いようだ。丁度、三味線漫談では昔の有名な噺家の出囃子を弾いてみせたりしていて、なかなか勉強にもなった。

夕方終わって、近所の蕎麦屋で軽く食事してから帰る。お酒も入って良い気分で、三味線漫談で聴いた「東雲節」など口遊みつつ、帰宅。

2017年5月16日火曜日

悲観と楽観

「科学者というのは、悲観的な人間です。真賀田博士も科学者ですし、世界一の天才なのですから、世界中の誰よりも悲観しているはずです。楽観しているのは、計算をしない幸せな凡人たちよ」
「ジグβは神ですか」(森博嗣著/講談社文庫)より

2017年5月14日日曜日

神楽坂にて諸々記念の宴会

午後は定例のデリバティブ研究所部会自主ゼミ。夕方からの宴会のため、今回は日曜日午後開催。重川「確率解析」。Littlewood-Paley-Stein の不等式の証明のつづきを K 先生が発表。今日は関西から T 先生も上京の他、この分野の大御所 K 岡先生も参加されて大変に充実。流石、K 岡先生は歴史的な背景をふまえた深いコメントをされていた。

夕方より神楽坂のイタリア料理屋にて、I 先生の東京在住一周年の記念、K 先生らの非営利団体設立の記念、ついでに私の隠居も記念していただいての宴会。K 岡先生、T 先生に加え、TK 大の N 先生も宴会から参加。華やかであった。

最後のデザートの選択肢に季節のホワイトアスパラガスの一品があったのだが、ついデザートにアスパラはいかがなものかと保守的に考え、無難にチョコレートを選んでしまったことを今、後悔している。

2017年5月12日金曜日

若いものと年老いたもの

若いものには、美しく生きるように、また、年老いたものには、美しく生を終えるように、と説き勧める人は、ばかげている。なぜなら、生きるということがそれ自体好ましいものだからであるばかりでなく、美しく生きる修練と美しく死ぬ修練とは、ひっきょう、同じものだからである。
「エピクロス —教説と手紙—」( 出隆・岩崎允胤訳/岩波文庫)、「メノイケウス宛の手紙」より

2017年5月10日水曜日

the more data you get, the less you know

To conclude, the best way to mitigate interventionism is to ration the supply of information, as naturalistically as possible. This is hard to accept in the age of the Internet. It has been very hard for me to explain that the more data you get, the less you know what's going on, and the more iatrogenics you will cause. People are still under the illusion that ``science" means more data.
from ``Antifragile" by N.N.Taleb

2017年5月5日金曜日

蘭とビールとミステリと

今日もいつもと同じく平穏無事に、そして適度に(私自身にとっては)生産的な一日を過して、夕方。蘭と、ビールと、レックス・スタウトの短篇「殺人鬼はどの子?」。

温室一杯の蘭の世話係と、料理人兼家事係と、助手の三人を雇えるほど財産を蓄えてから隠居できなかったのは心残りだが、そのつもりならメトセラくらい長生きをする必要があったろう。それなりの幸せで満足することを知ることが大事だ。

でも秘書の一人くらい雇えるまで頑張っても良かったんじゃないかなあ、と思わないでもない。

2017年5月3日水曜日

死と自由

死についてあらかじめ考えることは、自由について考えることにほかならない。死に方を学んだ人間は、奴隷の心を忘れることのできた人間なのだ。いのちを失うことが不幸ではないのだと、しっかり理解した者にとっては、生きることに、なんの不幸もない。死を学ぶことで、われわれは、あらゆる隷属や束縛から解放されるのである。
「エセー」(モンテーニュ著/宮下志郎訳/白水社)、「哲学することとは、死に方を学ぶこと」より

2017年5月2日火曜日

ある日の晩酌

賀茂鶴、筑前煮、「EQ」(May '89, No. 69)よりレックス・スタウト「死の扉」(本戸淳子訳)。