百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年4月2日日曜日

「大都会隠居術」

学生時代、と言っても二十そこそこの頃だが、「大都会隠居術」(荒俣宏編著/光文社)を読んで、そうだこれが私の望んでいた生き方だ、と思ったものである。私は元来老人臭い子供だったが、さらに言えば「隠居」に憧れていた。この本は隠居をテーマにしたアンソロジで、その心構えや実践の智恵を編者が指南する、という格好になっている。要点を一言で言えば、「隠居とは凡人に実現可能な唯一の自由な生き方であり、その奥義は老いることに他ならない」とでもなろうか。

中国の故事によれば、かつて世に稀な大天才がいたのだが、二十歳で心朽ちてしまったと言う。すなわち二十で老人になった。その後どうしたか誰も知らないのは、つまり隠居して幸せに暮らしたのだろう、少なくとも本人は。もちろん、これは稀代の天才にして可能な技である。この本を編んだ荒俣氏は当時、四十五歳。確かにその後は仕事らしい仕事をしていないので、隠居に成功したのだろう。私の場合は、それから修行を積むこと四半世紀余り、そして今漸く隠居したのだが、荒俣氏より少し時間がかかった。

今日久しぶりにこのアンソロジを読み返したのだが、漸くにしてこれを面白く読めるようになっていた。昔は正直に言って、荒俣氏の文章は愉快であるものの、集められている文章の方はさほど楽しめなかった。しかし今、面白い。最後がピーター・S・ビーグルの「心地よく秘密めいたところ」とボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」からの抄訳で締められているところなんて、すごくいい。