百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年5月22日月曜日

失われた本を求めて

裏長屋の隠居とは言え、あまり家に籠っていては身体に悪いかなと思い、外出。近所のインド料理屋でランチを済ませてから、日本橋に映画「メッセージ」を観に行く。テッド・チャンの短篇「あなたの人生の物語」の映像化。そのあと、神保町に行って、古書店巡りと珈琲屋での一服。

古書店で思いがけない本を見つけて、文字通り小躍りしてしまった。私が中学生の頃、ミステリ小説の愛好家だった叔父から譲り受けた中にあったもので、ミステリと SF の世界への道案内をしてくれた思い出深い一冊である。しかし、いつの間にか紛失してしまった。

遠い昔のことなので、タイトルも著者も忘れてしまい、ミステリと SF の両方をテーマ毎に面白おかしく紹介している、日本人の SF 作家が書いている、文庫本である、くらいの記憶しか残っていない。もちろん、今ではインタネットで小一時間も検索すれば判明するのだろうが、いつか偶然に古本屋の軒先の百円均一棚で見つけることもあるだろう、と再会を楽しみにしていたのである。

そして今日、百円均一棚ではなかったが、古書店の棚に発見。背中を見たとたんに、「もしやこれでは!」とビリッと来た。そして、手にとると確かに見覚えのある表紙。それは「夢探偵」(石川喬司著/講談社文庫/「SF・ミステリおもろ大百科」(早川書房)の改題)であった。

2017年5月19日金曜日

演芸場に遊ぶ

知り合いにお誘いいただいて、上野鈴本演芸場の昼の部に行く。お酒を飲みつつ、落語やその合間の紙切りや独楽の曲芸など。意外に沢山の客が入っていた。古典落語は「金明竹」、「紙入れ」、「へっつい幽霊」など。やはり生で聴くのは良いものだ。

ご一緒した方が邦楽に詳しく、紙切りでお題をもらって切る間の三味線のお囃子は、長唄からそのお題にちなんだ曲を弾くことが多い、などと色々と教えてもらう。例えば、お客が「○子様の婚約発表」というお題を出すと、曲は「鶴亀」だったりする。その場で咄嗟に弾くのだから、大したものだ。世の中には名も顔も知られぬ名人がいる。しかし、「バナナ」とか「象さん」とか求められたらどうするのだろうか。

噺家の出囃子も長唄からとることが多いようだ。丁度、三味線漫談では昔の有名な噺家の出囃子を弾いてみせたりしていて、なかなか勉強にもなった。

夕方終わって、近所の蕎麦屋で軽く食事してから帰る。お酒も入って良い気分で、三味線漫談で聴いた「東雲節」など口遊みつつ、帰宅。

2017年5月16日火曜日

悲観と楽観

「科学者というのは、悲観的な人間です。真賀田博士も科学者ですし、世界一の天才なのですから、世界中の誰よりも悲観しているはずです。楽観しているのは、計算をしない幸せな凡人たちよ」
「ジグβは神ですか」(森博嗣著/講談社文庫)より

2017年5月14日日曜日

神楽坂にて諸々記念の宴会

午後は定例のデリバティブ研究所部会自主ゼミ。夕方からの宴会のため、今回は日曜日午後開催。重川「確率解析」。Littlewood-Paley-Stein の不等式の証明のつづきを K 先生が発表。今日は関西から T 先生も上京の他、この分野の大御所 K 岡先生も参加されて大変に充実。流石、K 岡先生は歴史的な背景をふまえた深いコメントをされていた。

夕方より神楽坂のイタリア料理屋にて、I 先生の東京在住一周年の記念、K 先生らの非営利団体設立の記念、ついでに私の隠居も記念していただいての宴会。K 岡先生、T 先生に加え、TK 大の N 先生も宴会から参加。華やかであった。

最後のデザートの選択肢に季節のホワイトアスパラガスの一品があったのだが、ついデザートにアスパラはいかがなものかと保守的に考え、無難にチョコレートを選んでしまったことを今、後悔している。

2017年5月12日金曜日

若いものと年老いたもの

若いものには、美しく生きるように、また、年老いたものには、美しく生を終えるように、と説き勧める人は、ばかげている。なぜなら、生きるということがそれ自体好ましいものだからであるばかりでなく、美しく生きる修練と美しく死ぬ修練とは、ひっきょう、同じものだからである。
「エピクロス —教説と手紙—」( 出隆・岩崎允胤訳/岩波文庫)、「メノイケウス宛の手紙」より

2017年5月10日水曜日

the more data you get, the less you know

To conclude, the best way to mitigate interventionism is to ration the supply of information, as naturalistically as possible. This is hard to accept in the age of the Internet. It has been very hard for me to explain that the more data you get, the less you know what's going on, and the more iatrogenics you will cause. People are still under the illusion that ``science" means more data.
from ``Antifragile" by N.N.Taleb

2017年5月5日金曜日

蘭とビールとミステリと

今日もいつもと同じく平穏無事に、そして適度に(私自身にとっては)生産的な一日を過して、夕方。蘭と、ビールと、レックス・スタウトの短篇「殺人鬼はどの子?」。

温室一杯の蘭の世話係と、料理人兼家事係と、助手の三人を雇えるほど財産を蓄えてから隠居できなかったのは心残りだが、そのつもりならメトセラくらい長生きをする必要があったろう。それなりの幸せで満足することを知ることが大事だ。

でも秘書の一人くらい雇えるまで頑張っても良かったんじゃないかなあ、と思わないでもない。

2017年5月3日水曜日

死と自由

死についてあらかじめ考えることは、自由について考えることにほかならない。死に方を学んだ人間は、奴隷の心を忘れることのできた人間なのだ。いのちを失うことが不幸ではないのだと、しっかり理解した者にとっては、生きることに、なんの不幸もない。死を学ぶことで、われわれは、あらゆる隷属や束縛から解放されるのである。
「エセー」(モンテーニュ著/宮下志郎訳/白水社)、「哲学することとは、死に方を学ぶこと」より

2017年5月2日火曜日

ある日の晩酌

賀茂鶴、筑前煮、「EQ」(May '89, No. 69)よりレックス・スタウト「死の扉」(本戸淳子訳)。

2017年4月29日土曜日

真理採掘

数学的概念を把握する唯一の手段は、それをいくつもの異なるコンテクストの中で見、何ダースもの具体例について考え抜き、直感的な結論を強化するメタファーを最低ふたつか三つ見つけることだ。
「ディアスポラ」(G.イーガン著/山岸真訳/ハヤカワ文庫)より

2017年4月28日金曜日

一子相伝

隠居だってプレミアムなフライデイなるものをしてみんとす。神保町でランチを楽しんでから(昼間に飲むビールはうまい)、竹橋まで散歩。今日は暑いと言うほどでもなく、丁度良い陽気の散歩日和だ。

東京国立近代美術館で開催中の展覧会「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」を観る。初代長次郎から現代まで代々の作品が順に並べられているので、その発展が興味深い。しかし、正直に言って、私には当代の茶碗の良さが全く分からなかった。先代までは理解できないながらも何となくすごい、ただものではない、という感じが伝わってくるのだが。もちろん私の目が低いせいだろう。

ついでに所蔵作品展なども一通り観たら、午後一杯楽しんでしまった。MOMAT もやはりなかなかいいものを持っている。夕方帰宅。

2017年4月27日木曜日

Which flower?

``The flower a woman chooses depends on the woman. The flower a man chooses depends on the flower."
by Nero Wolfe, from ``Why Nero Wolfe likes orchids" (Rex Stout) in ``Life" (19 April 1963 issue)

2017年4月25日火曜日

antifragile

I want to live happily in a world I don't understand.
from ``Antifragile" (N.N.Taleb / Random House)

2017年4月23日日曜日

幸福の定義

「十五歳のときに欲しいと思ったものが五十歳になって全部手に入ったら、そいつが幸福ってものさ」

「虎よ、虎よ!」(A.ベスター著/中田耕治訳/ハヤカワ文庫)より

2017年4月22日土曜日

盲亀の浮木

午前中は、定例のデリバティブ研究部会自主ゼミ。メインスピーカの代打として、私が単発もので発表。ガウシアン相関予想を解決した T.Royen の論文を紹介した。解かれてみれば自然なアイデアに思えるが、なかなか思い付き難い一般化が Royen 得意の分野の知識に結びついているので、ある種、「盲亀の浮木」的な出会いものなのでは。

このガウシアン相関予想(Gaussian Correlation Conjecture; GCC)には、二十年ほど前のこと、私の先生が解けたと思って大喜びした途端、間違いが指摘されてがっかりしていた、という思い出がある。その証明はすっかり忘れてしまったが、Royen の証明のポイントがランダム行列を通したラプラス変換表現にあることからして、実はいい線を行っていたのかも知れない。

参加者によるゼミの後のランチは、タイ料理のビュッフェ。発表で喉が乾いた、という理由をつけてシンハービール。タイ料理とビールの相性は最高。

「暇であることについて」

わたしは最近になって、残されたわずかな余生を、世間から離れてのんびりとすごそう、それ以外のことには関わるものかと心に誓って、わが屋敷に引っ込んだ。というのも、そのとき、わたしが精神にしてやれる恩恵といったら、それを十分に暇なままに放っておいてやって、みずからのことに心をくだき、みずからのうちに立ち止まって、腰をすえさせてやること以上のものはないように思われたのである。そうすれば、いずれ時間とともに、精神もずっしりとしてきて、円熟味をまし、もっとたやすく自己のうちにとどまれるのではないのかと待ち望んでいたのだ。ところが、気づいてみると、《暇は、いつだって精神を移り気にしてしまう》(ルカヌス「内乱」四の七〇四)のであった。わが心は、放れ馬のようにあばれまわり、他人に対してより、はるかに自由奔放にふるまってしまうのである。そしてわたしのうちに、たくさんの風変わりなまぼろし(シメール)やら化け物(モンストル)を、わけもなく無秩序に、次々と生み出してくるものだから、そのばからしさや異常さを、ゆっくり観察してみようとして、わたしはそれらの目録を作り始めたのだった — いずれ時間がたったら、わが精神に、このことで恥でもかかせてやろうと思って。
「エセー」(モンテーニュ著/宮下志郎訳/白水社)、「暇であることについて」より
 

2017年4月19日水曜日

低温調理

夜は E 社の N 社長からのお誘いで、私の隠居を記念しての会食。新宿三丁目の謎の会員制バーのような店にて。牛肉の希少部位を低温調理したもののコース。低温調理も良いが、やはり肉はじゅうじゅう焼いて食べたい気もする。最初のユッケが一番美味しかったかも。スパークリングのあとボルドーの赤ワインを一杯だけ。N さんはどうやら最近飲み過ぎらしく、ちょっと心配である。

林類歳且ニ百歳ナラントス

子貢曰く、先生少(わか)くして行を勤めず、長じて時に競わず、老いて妻子なく、死期将に至らんとす。亦何の楽があって、穂を拾うて行〻歌うやと。林類笑って曰く、吾が楽となす所以のものは、人皆之あれども、反って以て憂とするなり。少くして行を勤めず、長じて時に競わず、故に能く寿きこと此くの若し。老いて妻子なく、死期当に至らんとす、故に能く楽しむこと此くの如し。

「列子」(小林勝人訳注/岩波文庫)、「天瑞第一」より

2017年4月14日金曜日

歌舞伎座で花見

天気も良いことだし歌舞伎座に行ってみるか、と突然思い立つ。隠居の身分で贅沢は禁物だが、家はなし、妻子はなし、芸者をあげるでなし、博打をうつでなし、これくらいの道楽は許されるだろうと思い、今月も歌舞伎座へ。「四月大歌舞伎」昼の部。「醍醐の花見」、「伊勢音頭恋寝刃」、「一谷嫩軍記」(熊谷陣屋)。

今年は特に花見に行かなかったので、持ち込んだ日本酒を飲みながらの「醍醐の花見」がその代わり。鴈治郎の秀吉がパタリロ的な愛らしさ。「伊勢温度恋寝刃」は福岡貢に染五郎、万野に猿之助などで若々しい配役ゆえにか、あっさりし過ぎているように思えた。そのせいか、実は途中で寝てしまったのだが。熊谷陣屋を観るのは何度目だろう。今回は直実に幸四郎、相模に猿之助など。可もなく不可もなくだが、これも猿之助向きの役ではないような。

偶然、劇場内で知り合いの長唄の師匠に会う。旦那さんが舞台で三味線を弾いているので、中日の様子を観に来た模様。幕間に「めでたい焼き」をいただいたり。鯛焼の中に紅白の餅が入っていてめでたい。舞台が終わったあと、歌舞伎座すぐ近くの店でお二人の「反省会」にお付き合いする。熊谷陣屋の最後の送り三重についてなど、舞台側からのお話が色々と聞けて楽しかった。

夕方お別れして、近所のスーパーで週末の朝食用のフルーツ、花屋で観葉植物を買って帰宅。昼にあれこれ食べ過ぎたので夕食は盛り蕎麦とお茶だけ。

2017年4月8日土曜日

日本橋の桜

定例のデリバティブ研究部会自主ゼミ。予定スピーカの急用のため、代打として A 先生が「確率空間の圏」について話された。数理ファイナンス的な動機から、圏論を確率論に応用する野心的な試みで、なかなか興味深かった。

次回の再来週もメインスピーカが話せないときの保険をかけておこうということになり、一番暇な私が手を上げる。最近、ガウシアン相関不等式(GCI; Gaussian Correlation Inequality)の予想を解決した論文を読んでいるので、その話ならできそうだと思って。

参加者によるゼミ後のランチは洋食屋にてオムライス的な料理。店までの道程は、こんな街中なのに沢山の桜が満開。その下で花見をしている人々までいた。

最近、週末になると名作 SF 長編を読んでいる。今回は「夏への扉」(R.A.ハインライン著/福島正実訳/ハヤカワ文庫)。

2017年4月5日水曜日

普通の一日

寝床で「古楽の楽しみ」を聞いて、7 時に起床。猫に水とキャットフードをやり、サンセヴェリア(Sansevieria Ehrenbergii Samurai Dwarf)を観察して、自分にはヨーグルト。一息ついてから納豆定食を作る。朝食のあと珈琲を飲みながらメイルをチェックして、"Wheelock's Latin" でラテン語の勉強と、Aaronson の "Quantum Computing since Democritus" を 30 分ずつ。そのあと顔を洗って、着替えをし、お茶を入れて、午前中は原稿仕事。お昼時になったので、ランチがてら区役所に印鑑証明をもらいに行く。散歩に最適の好日。区役所は満員御礼。どうやら新年度で転入手続きの類が殺到しているようだ。とは言え、「死は万病を癒す薬」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ・ミステリ 1830)を一、二章読んでいるうちに済んだ。カレー屋の前に行列が出来ていたので、近くの新刊書店で暇つぶし。平凡社ライブラリーのフェア中。色々眺めた結果、「園芸家の一年」(カレル・チャペック著/飯島周訳/平凡社ライブラリー)を買った。人の波がひいたカレー屋で昼食をとり、歩いて帰宅。午後も原稿仕事。夕方になり、風呂。湯船の読書は、"Too Many Clients" (R.Stout / Bantam)を読み終えたので、「死は万病を癒す薬」の続き。夕食の支度。鯛のあらを使った鯛飯と、葱と油揚げの赤だし。夜は「園芸家の一年」など。生ハムとチーズとワインを少々。

2017年4月2日日曜日

「大都会隠居術」

学生時代、と言っても二十そこそこの頃だが、「大都会隠居術」(荒俣宏編著/光文社)を読んで、そうだこれが私の望んでいた生き方だ、と思ったものである。私は元来老人臭い子供だったが、さらに言えば「隠居」に憧れていた。この本は隠居をテーマにしたアンソロジで、その心構えや実践の智恵を編者が指南する、という格好になっている。要点を一言で言えば、「隠居とは凡人に実現可能な唯一の自由な生き方であり、その奥義は老いることに他ならない」とでもなろうか。

中国の故事によれば、かつて世に稀な大天才がいたのだが、二十歳で心朽ちてしまったと言う。すなわち二十で老人になった。その後どうしたか誰も知らないのは、つまり隠居して幸せに暮らしたのだろう、少なくとも本人は。もちろん、これは稀代の天才にして可能な技である。この本を編んだ荒俣氏は当時、四十五歳。確かにその後は仕事らしい仕事をしていないので、隠居に成功したのだろう。私の場合は、それから修行を積むこと四半世紀余り、そして今漸く隠居したのだが、荒俣氏より少し時間がかかった。

今日久しぶりにこのアンソロジを読み返したのだが、漸くにしてこれを面白く読めるようになっていた。昔は正直に言って、荒俣氏の文章は愉快であるものの、集められている文章の方はさほど楽しめなかった。しかし今、面白い。最後がピーター・S・ビーグルの「心地よく秘密めいたところ」とボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」からの抄訳で締められているところなんて、すごくいい。