百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年12月11日月曜日

芝居納め

今日の日中だけは温かいらしい。水筒に日本酒を詰め、デパートの地下でお弁当を調達し、歌舞伎座へ。

「十二月大歌舞伎」の第一部を観劇(今月は三部制)。「実盛物語」と「土蜘」。幕の内の残りを肴にお酒を飲みながら観ていたら、いつの間にか気持ち良く、うとうととして半分くらい寝ていたかも。とは言え、今年の芝居納めは土蜘退治で、一年の厄落としになったに違いない。

ちなみに、「土蜘」の「叡山の僧智籌実は土蜘の精」を演じたのは松緑。まあ過不足ない感じか。侍女胡蝶役に梅枝。私は梅枝の顔がけっこう好きだ。

今年もほぼ毎月、歌舞伎座に通ったが、私が観た内での本年度ベストは、十一月「元禄忠臣蔵」より「大石最後の一日」のおみの役の児太郎かな。

2017年12月10日日曜日

ノンシヤラン

穏かな天気の良い週末である。おやつにパンとブルーチーズ。

2017年11月30日木曜日

ヒュームの死

氏は答えて、氏自身もこの満足を非常に強く感じているので、その数日前、ルキアノスの「死者達の対話」を読んでいるとき、カロンに向ってその渡し舟にやすやすと乗りこまないために持ち出されているあらゆる弁解のなかに、一つとして自分にとって適当なものは見出しえなかったといいました。氏は仕上げるべき家をもたず、支度をしてやる娘をもたず、復讐を願う敵ももっていませんでした。……
アダム・スミス書簡(ウィリアム・ストローン宛)より、D.ヒュームの最期の描写。「奇蹟論・迷信論・自殺論」(D.ヒューム著/福鎌忠恕・斎藤繁雄訳/法政大学出版局)に所収。

2017年11月19日日曜日

先生根性

昨日、午後は R 大確率論・数ファ系研究室の卒業生と教員の同窓会的な研究集会と、その同窓会組織の会合に付随した講演会。この講演会では、私が卒研を見た T 本君が「人工知能と金融のお話」の題で話すというので、一応出席しないわけには行かないかな、と雨の中出かけた。

やはり元教員としては、昔、学生として接していた彼等が今活躍している様子をうかがうと、なかなかに感慨深いものがある。私自身は、私が若い頃には若い頃を十二分に堪能したので、既に若者にはあまり興味がないのだが(これはヴィスコンティ監督の名言だったっけ)、それでも、胸が温かくなるような気持ちがするのは、先生根性が抜け切らないのだろう。

卒研の教え子の講演を聞いたあと、懇親会は遠慮して即帰宅。卒研でなにをやったか私は忘れていたが、講演で「大偏差原理の本を読んだ」と聞いて、そうだそうだ、と思い出したことであった。Stroock だったかな?

2017年11月7日火曜日

吉例顔見世大歌舞伎と「元禄忠臣蔵」ミステリ説

十一月と言えば顔見世である。一年は早いものだ。

老人は夜が早いので、普段は昼の部に行くことが多いのだが、今月の夜の部は仁左衛門が出ているし、さらに「仮名手本忠臣蔵」と真山青果の「元禄忠臣蔵」の両方がある。これは夜に観るしかない、と昨日のこと、水筒に白ワインを詰め、三越地下でお弁当を調達して、歌舞伎座へ。

一つ目は「仮名手本忠臣蔵」五、六段目。勘平に仁左衛門、おかるに孝太郎など。仁左衛門が若々しい。とてもその年とは思えない。

二つ目は「新口村」。忠兵衛に藤十郎、梅川に扇雀。藤十郎はんは動いてはるだけでありがたいわあ的な感じ。孫右衛門の歌六が芸達者。

三つめは「元禄忠臣蔵」より「大石最後の一日」。大石内蔵助に幸四郎、磯貝十郎左衛門に染五郎、おみのに児太郎など。仁左衛門が荒木十左衛門役でちょこっと。おみのの児太郎が、難しい上に密度の高い真山青果の台詞を迫真の演技でこなして、良かったのでは。個人的には幸四郎より勝っていたように思った。そう言えば、去年の顔見世も「元禄忠臣蔵」だった。「御浜御殿綱豊卿」で仁左衛門が綱豊卿を演じたのだったなあ。あれも良かった。

ところで、「仮名手本忠臣蔵」は噂話に尾鰭がついてどんどん大きく面白くなったような風情があるが、「元禄忠臣蔵」はいかにも一人の人間がギリギリ考えて作り上げた、というような、一本太い筋が通っているところがいい。これは全く私だけの理論だが、「元禄忠臣蔵」は一種のホワイダニットではないか。つまり、どうして大石内蔵助は討ち入りを計画実行したのか、という動機探しの推理小説ではないか。そして、大石自身も完全には理解していないところを、「最後の一日」でおみのとの討論の末、最後の最後に、全ての伏線を回収して動機が明確になるところがまさに、上質のミステリだと思うのである。


2017年11月4日土曜日

on Writing

Writing is a grim business, much like repairing a sewer or running a mortuary. Although I've never dress a corpse, I'm sure that it's easier to embalm the dead than to write an article about it.
``How to write a lot" (P.J. Silvia / APA Life Tools)

2017年10月26日木曜日

鈴本演芸場十月下席

良い天気なので、水筒にお茶を詰め、散歩がてら近所で散らし寿司を買ってから、鈴本演芸場へ。

蜃気楼龍玉さんの「親子酒」の酒好きぶりが印象的だった。酒をいかにも旨そうに飲む(ふりをする)のが、私の好きな噺家の条件の一つだ。

粋曲の柳家小菊さんは「きんらい節」から入って、都々逸や小唄など。粋だなあ。前に小円歌さんが三味線漫談で「こんな芸者呼んだら 2,800 円どころじゃすまないんだからぁ」と言っていたが、小菊さんはまさにそういう感じ。隠居の身で芸者遊びをするわけにはいかないので、演芸場でこういう文化を気軽に味わえるのは貴重だ。そう言えば、小円歌さんは立花家橘之助二代目を襲名予定らしい。

主任(トリ)は白酒師匠の「井戸の茶碗」。正直者しか出てこない話を気持ち良く聞く。白酒さんは名人上手という感じではないが、いつも細部のアレンジが抜群に面白い。私にとっては今、一番笑える噺家かも知れない。

その後は、蕎麦屋で天せいろと熱燗一合。

2017年10月21日土曜日

自由の人と死

定理六七 自由の人は何についてよりも死について思惟することが最も少ない。そして彼の智恵は死についての省察ではなくて、生についての省察である。
証明 自由の人すなわち理性の指図のみに従って生活する人は、死に対する恐怖に支配されない(この部の定理六三により)。むしろ彼は直接に善を欲する(同定理の系により)。言いかえれば彼は(この部の定理二四により)自己自身の利益を求める原則に基づいて、行動し、生活し、自己の有を維持しようと欲する。したがって彼は何についてよりも死について思惟することが最も少なく、彼の智恵は生についての省察である。Q.E.D.
スピノザ「エチカ」(畠中尚志訳/岩波文庫)、第四部「人間の隷属あるいは感情の力について」より

2017年10月12日木曜日

二つの人生

私たちには誰でも二つの人生がある。
真の人生は、子供のころ夢見ていたもの。
大人になっても、霧の中で見つづけているもの。
偽の人生は、他の人びとと共有するもの。
実用生活、役に立つ暮らし。
棺桶の中で終わる生。
フェルナンド・ペソア「[新編] 不穏の書、断章」 (澤田直訳/平凡社ライブラリー)より

2017年10月5日木曜日

芸術祭十月大歌舞伎「マハーバーラタ戦記」

まさか「マハーバーラタ」を歌舞伎座で観る日がやって来ようとは。

百貨店の地下のサンドウィッチリーで幕間の昼食を調達して、歌舞伎座へ。今月の昼の部は「極付印度伝マハーバーラタ戦記」。なんとインドの古典、叙事詩「マハーバーラタ」の歌舞伎化である。日本を舞台に翻訳してあるのかな、と思ったら、案外そのまま「マハーバーラタ」。筋も意外に忠実で、「バガヴァッド・ギーター」に対応すると思しき場面もあった。

しかし「新歌舞伎」ではあり、(和風の)腰元が花を撒く後ろを(和風の)お姫様を乗せた象がついていく、みたいな歌舞伎&インド折衷のすごい世界が展開される。音楽も舞台装置も効果も照明も相当インド風(?)にがんばったので、役者さん以外も大変だったろうな……と、裏方の苦労が思いやられた。ついでに言えば、大向こうさんたちがいつものように「音羽屋!」などと声をかけるのも変な感じで、声をかける方もかけられる方も、戸惑っていたのではないか。

でも、お芝居としては非常に楽しめて、3 幕で 4 時間近くがあっという間。これは歌舞伎ではない別の演劇だと思えば、かなりおすすめである。人間と戦争を巡る最も古く、最も深い、大叙事詩を題材にした舞台を観るのにもよろしいご時世かと。


2017年9月27日水曜日

鬢糸

人間も五十近くまで生きれば、やりたいことは大概やつてしまふものである。昔と違つて、そこで隠居する訳には行かないのは余り嬉しいことではないが、それでも若い頃のもやもやは仕事の上ではつきりした形を取り、人間が一生のうちに身に付けられる知識に限度があることも解り、自分がどういふ人間であるかといふことも、既に努力したり、工夫したりすることではなくなつて、或は少くともそれでまた変化が期待出来る範囲が狭められて、兎に角、もう若いことで苦められるといふことはなくなる。人間が本当に人間らしくなるのは、それからではないだらうか。その時から、人生の長い黄昏が始り、一日の終りに来る黄昏と同様に、日が暮れるのを待ち遠しく思ふのとは反対に、辺りのものが絶えず流れ去つて行くのを止める。といふ風なことを、この頃は考へてゐる。
吉田健一「鬢糸」(「わが人生処方」(中公文庫)所収)より

2017年9月23日土曜日

ルイス・キャロルの数学と私

先週、拙著「測度・確率・ルベーグ積分」(講談社)が出版されて今は、あんなに何度も校正したのに沢山残っていた間違いや誤植にため息をついているところである。サポートページの正誤表を更新してはいるものの、改訂のチャンスがあればよいのだが。

それはさておき、今まで沢山出版されている測度論と確率論の教科書に対する拙著の特色は、薄い、軽い、数学の専門家向けではない、などの他に、ルイス・キャロルにかなりページ数を割いて言及していることである。おそらく、一言でもキャロルに触れた現代的確率論の本は他にないだろう。

私は以前から、ルイス・キャロルの "Pillow Problems"「枕頭問題集」の確率に関する(複数の)問題の単純な間違いを、なぜ誰も指摘しないのか、とフラストレーションを感じていた。ほとんどの訳者は数学の知識、特に現代的確率論の知識を持っていないため、気づかないのは仕方がない。そもそもマイナな作品のため、気づいた読者も特に公には言及しないのだろう。しかし私としては、いつか機会があれば、このことを書きたいと思っていた。

また、随分と前のことで経緯は忘れたが、某出版社からルイス・キャロル全集の企画を手伝ってほしいと頼まれたことがある。数学に関する業績も入れたいから、数学が主題の論文や記事の内から主要なものを選んで訳してほしい、とのことだった。今なら話半分に聞くが、当時の私は真面目だったので、キャロルの業績がほぼ網羅されている、イギリスで出版された全集の大量のコピーを一ヶ月ほどかけて熟読したのだった。そして、重要かつ代表的と思われる論文数編を選び、翻訳もした。しかし、良くあることながら、その企画はお流れになったらしく、編集者も何の連絡もしてこなくなった。

おかげで私はキャロルの数学的業績に通じることになった。初歩の論理学、代数、暗号、円積問題(円と面積が等しい正方形の作図問題)などは予想の範囲内だったが、公平なトーナメントや選挙の方法に関する論考や提案など、シリアスな貢献と言えなくもない仕事もある。キャロルの数学の世界の全体に目を開かされたことは良い経験だったが、直ちに何かに生かせるわけではない。まあ、無駄骨を折ったわけで、こういうのを「教養」と呼ぶのかも知れないが、いつか何かの形にできないものかとも思っていたのである。

私見ではルイス・キャロル(Dodgson, C.L.)の数学的業績は、おそらく、大したものではない。しかし、19 世紀末というある意味で絶妙の時期に、キャロル的としか言いようのない独特のセンスで活躍したため、数学史・科学史的に興味深い題材になっていると思う。例えばその一つが、今回「測度・確率・ルベーグ積分」でも触れた、測度論誕生前夜のエピソードとしての「ランダムに選んだ数が有理数である確率、無理数である確率」を巡る論争である。

以上の二つの理由から、このあたりのことについて何か文章を残したいと思っていたところに、「応用者向けの測度論の入門書を書かないか」と出版社から相談され、正直に言うと、導入部でキャロルについて書きたいばっかりに二つ返事で引き受けたのである。そして無事に出版までたどり着けたが、説得力のあるイントロダクションになっているかどうかは、読者諸氏のご判断に任せるしかない。もちろん私自身は、欲求不満の一部を解消できたこともあり、けっこう気に入っている。

2017年9月15日金曜日

秀山祭九月大歌舞伎

歌舞伎座にて昼の部を観劇。「彦山権現誓助剱(毛谷村)」、「道行旅路の嫁入」、「極付 幡随長兵衛」。毛谷村はけっこう好きな話。物凄い御都合主義なのだが、それが可笑しみで気にならない。今回は菊之助のお園が良かったような。「道行旅路の嫁入」は忠臣蔵からの舞踊。戸無瀬役の藤十郎をありがたく拝見させていただく演目か。最近、幡随長兵衛をよく観ているように思うのだが気のせいだろうか……長兵衛の女房を演じる魁春がなかなか良い。

ところで、お酒を飲みながら観ていたら、幕間に見知らぬお婆さんから「江戸切子ですか? 素敵ですねえ」と話しかけられた。昔から、年上にモテる私である。

2017年9月12日火曜日

ひと夜さ

わたしたちは、かつて、目が覚めていたし、やがて、ふたたび、目を覚ますであろう。人生は、ひとつの長い夢に充たされたひと夜さであり、夢のなかでは、人は、とかく、うなされる。
「自殺について」(ショーペンハウエル著/石井立訳/角川ソフィア文庫)より

2017年9月9日土曜日

エアコンの水漏れ

この前、新調したばかりのエアコンの下に置いてあったペイパーバックが、ぐっしょり濡れて黴だらけになっていることに気付いた。知らないうちに、エアコンから水漏れしていたのである。慌てて業者に連絡をして、対応してもらった。

これが私にとっての、最近の大事件。あの人はお気楽だから人生の悩みと言ったら、花に虫がついて困るくらいのものだよね、と言われるような生活を理想としているのだが、また理想状態に戻った。「閑雅なる君のかなしみ苧環の花芽に繭ごもる蟲ありと」(塚本邦雄)。

ところで、自分でも調べたり、業者の方から聞いたりして、エアコンの排水の仕組みについて知ったことが面白かった。エアコンに冷房時用の排水管があることは知っていたが、まず、そんなに大量に排水しているものだとは思わなかった。しかし、日本の蒸し暑い夏の空気を冷やせば大量に水分が凝結し、それが適切に排水されないと、エアコン内にたまった水が盛大に零れ落ちてくるのは当然である。

また、排水の仕組みが単に重力任せだということも知らなかった。冷却器の下に受け皿があって、そこから配管の傾きで水を流し出すだけのシンプルな仕組みなのだ。だから、不具合の原因の特定や解消も簡単である。配水管の詰まりを取り除くための手動のポンプ(通販で安価に売っている)があれば大抵解決するし、エアコンのカバーさえ外せるなら素人でも 100% 問題を同定し解消できるな、と思った。とは言え、私なら業者を呼ぶが。

そんなわけで、被害にあったペイパーバックを陰干しして、何とか読めるようにならないかなあ、と期待している今日この頃。


2017年9月7日木曜日

人間の状態

ここに幾人かの人が鎖につながれているのを想像しよう。みな死刑を宣告されている。そのなかの何人かが毎日他の人たちの目の前で殺されていく。残った者は、自分たちの運命もその仲間たちと同じであることを悟り、悲しみと絶望とのうちに互いに顔を見合わせながら、自分の番がくるのを待っている。これが人間の状態を描いた図なのである。
パスカル「パンセ」(前田陽一・由木康訳/中公文庫)、第三章「賭の必要性について」、第二〇〇項

2017年9月3日日曜日

大皿と小皿

また、会期終了ぎりぎりにならないと行かないの法則で、根津美術館の「やきもの勉強会 食を彩った大皿と小皿」をようやく観に行ってきた。根津美術館は久しぶり。

確かに小皿って「銘々」の皿だから、大昔から食事の場にあったわけじゃないんだなあ、と当たり前のことを思う。私は大皿料理を「パーティ系」、小皿や小鉢の料理を「愛人系」と勝手に(たぶん桃井かおりさんにならって)呼んでいるのだが、小皿料理は愛人系の人の要請で誕生したのではないか。いや、真面目にそう思ってます。

ところで、私の実家で小皿一般のことを「おてしょう」と呼んでいるのを方言だと思っていたのだが、展示の説明の中に「手塩(皿)」という言葉が沢山あって、標準的な言葉だったのだな、と今さら知った。

2017年8月30日水曜日

校了

昨日、念校のチェック箇所の反映を確認して、校了。もうこの後、私にできることはなく、(本当に出版されるなら)出版を待つだけなので、シャンパンで自分にお疲れ様。

測度論、(ルベーグ)積分論、測度論的確率論の初歩のあたりをカバーする入門的教科書なのだが、このジャンルには(読者の少なさのわりには)既に、沢山の本が出版されている。さすがに、もう十分なのではないか、という気もする。私自身、定番的な教科書二冊(Williams, Capinski-Kopp)に共訳者として携わったので、訳書も含めればこれが三冊目だ。

しかし、最近、数学以外の分野の学習者から、現代的な確率論の基礎を学びたい、測度論を知りたい、と言う声を良く聞くわりには、非専門家向けの適当な教科書がないのではないか、と出版社の方がおっしゃるので、まあそう言えなくもないかなあ、とその気にさせられたわけである。主旨としては、数学が専門ではない理工系の読者を対象に(面倒な証明は省略可能)、コンパクトに必要事項をまとめ(全体で 160 ページ以内)、しかも、なぜそう考えるのかは親切に説明する(前の要請と対立するが)、という感じ。

先日、知り合いの方とお話していたときに、近頃出版された T.タオの本の話題から、測度論の教科書の話になった。どうやら最近、測度論がはやっているのではないか。ここでさらにもう一冊出すのは「駄目押し」って感じですね、などと笑ったのだが、実際、本来の囲碁の意味で駄目を置いただけにならないか、ちょっと不安。

2017年8月23日水曜日

「死にいたる病」

前に引用したように、キルケゴールが大事なんじゃないかと思うようになり、しばらく就眠儀式として少しずつ「死にいたる病」(S.キルケゴール著/桝田啓三郎訳/ちくま学芸文庫)を読んでいた。昨夜、読了。なんだかすごいことが書いてあるみたいだぞ、と同時に、こりゃ敵わんなあ、もしくは、どうしようもないなあ、という感。

私の理解が正しければキルケゴールは、絶望と罪を「神の前にただ独りで立つ」ことを軸に論じ、まさにそのことで真の「キリスト者」たることを論じているので、それはどこまでもその人自身だけの、誰にも伝えられず、伝えることにも意味がない問題である。その不可能性を信仰で乗り越えるのがキリスト教であり、またキルケゴールの方法なので、ぎりぎりのところで「信じるか、躓くか」しかない。つまり、異教徒であり、また信仰も持たないため、信じることも躓くこともできない私のような人間には、どうしようもない。

とは言え、一番大事なこと、他のことが全て無意味になるほど大事なことは、(私の立場からすれば、もしそういったものがあるとすれば、だが)、他人に伝えたり他人と関わることが全く不可能なほど徹底的に個人的な問題であり、また、論理的、客観的には原理的に表現不可能な領域にある問題であり、究極的には「信仰」によってしか解き明かせない問題である、という一点こそが、異教徒や不信心者にはなかなか理解できないまでも、一番大事なことなのだろう、とは思った。

2017年8月18日金曜日

お化けと隠居

隠居して毎日なにしてるんですかと訊かれると困って、「いろいろ」と答えていた。しかしこの頃になって、荒俣宏が「大都会隠居術」(光文社)で隠居とお化け(妖怪)の類似性を指摘していたことがあれこれ腑に落ちるようになり、「妖怪のような暮らし」とか「ゲゲゲの鬼太郎の主題歌のような毎日」と答えれば正しいと思うようになった。

誰でも人間や社会に愛想がつきて、お化けか妖怪のように暮らせればいいなあ、と思うことがある。なにせ、お化けにゃ学校も試験もないし、会社も仕事もないし、死なないし病気にもならない。朝は寝床でぐうぐうぐう、昼はのんびりお散歩だ。その究極の贅沢を「老い」という手段で実現するのが隠居である。

とは言え、私も夜は墓場で運動会をしているわけではない。

2017年8月17日木曜日

英単語

英語で書かれたものを読むときには、意味が分からない語が頻繁に現れるので "OALD" を傍らに置いているのだが、大抵これだけで用が足りてしまう。ちなみに英英辞書とは言っても、文法の初歩的な説明や、絵やイラストが沢山入っている、英語学習者向けの辞書である。

と言うことは、私の英単語力は高校生の頃からさして進歩していない。いや、辞書を引く頻度や、引く語からして、後退している気がする。

2017年8月11日金曜日

夏の読書

隠居に土日も祝日も盆も正月もないのだが、生活のリズムをとるため、世間のカレンダにあわせて一日の過し方を変えるようにしている。

そんなわけで、数日仕事やルーチンワークを停止して、家でのんびり気楽な本など読んで休む予定。お供は「ホット・ロック」(D.E.ウエストレーク著/平井イサク訳/角川文庫)、「ラブラバ」(E.レナード著/鷺村達也訳/ハヤカワ文庫)、「耳をすます壁」(M.ミラー著/柿沼瑛子訳/創元推理文庫)、「逆転世界」(C.プリースト著/安田均訳/創元SF文庫)、など。

2017年8月9日水曜日

エアコン新調

今日の午後、一時から三時の二時間かかって、故障していた居間のエアコンの代替機の設置工事。結局、おそらくこの夏で一番暑い二時間に工事することになり、業者の方には気の毒な感じ。明日以降、東京で猛暑日はなかったりして……

涼しい居間で、「スローターハウス5」(K.ヴォネガット・ジュニア著/伊藤典夫訳/ハヤカワ文庫)を読む。

2017年8月5日土曜日

絶望

最近、キルケゴールがすごく大事なんじゃないかな、と思うのだが、読んでみると難解過ぎてほとんど良く分からなくて、これは「キリスト者」でないとどうにもならないのかも知れない、とも思うものの、やはり大事なんだろうと思う。

ああ、しかし、いつか砂時計が、時間性(このよ)の砂時計がめぐり終わるときがきたら、俗世の喧騒が沈黙し、休む間もない、無益なせわしなさが終わりを告げるときがきたら、きみの周囲にあるすべてのものが永遠のうちにあるかのように静まりかえるときがきたら — そのときには、きみが男であったか女であったか、金持ちであったか貧乏であったか、他人の従属者であったか独立人であったか、幸福であったか不幸であったか、また、きみが王位にあって王冠の光輝を帯びていたか、それとも、人目につかぬ賤しい身分としてその日その日の労苦と暑さとを忍んでいたか、きみの名がこの世のつづくかぎり人の記憶に残るものか、事実またこの世のつづいたかぎり記憶に残ってきたか、それともきみは名前もなく、無名人として、数知れぬ大衆にまじっていっしょに駆けずりまわっていたか、またきみを取り巻く栄光はあらゆる人間的な描写を凌駕していたか、それともこの上なく苛酷で不名誉きわまる判決がきみにくだされたか、このようなことにかかわりなく、永遠はきみに向かって、そしてこれらの幾百万、幾千万の人間のひとりひとりに向かって、ただ一つ、次のように尋ねるのだ、きみは絶望して生きてきたかどうか、きみはきみが絶望していたことを知らなかったような絶望の仕方をしていたのか、それとも、きみはこの病を、責めさいなむ秘密として、あたかも罪深い愛の果実をきみの胸のなかに隠すように、きみの心の奥底に隠し持っていたような絶望の仕方をしていたのか、それともまた、きみは、他の人々の恐怖でありながら、実は絶望のうちに荒れ狂っていたというような絶望の仕方をしていたのか、と。
「死にいたる病」(S.キルケゴール著/桝田啓三郎訳/ちくま学芸文庫)より

2017年7月30日日曜日

「狙った獣」/「グリッツ」

週末、長時間の移動があったので往復の車中の読書は、買い置きの未読本から、往きには「狙った獣」(M.ミラー著/文村潤訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)、帰りには「グリッツ」(E.レナード著/高見浩訳/文春文庫)を選んだ。「グリッツ」は車中で読み切れず、今日帰宅してから、夕方、風呂上がりにパイナップルを食べながら読了。

「狙った獣」は今まで未読だった古典的名作。これは健康な心の持ち主には書けないな、と思うほど狂気の描写に真実味がある。狂気に首尾一貫した筋が通っていて、ここまで理性的なのは正気だからではなく、むしろ著者も狂っているからではないか。余計なお世話だが、ロス・マクドナルドとマーガレット・ミラーの夫婦生活はどんなものだったのかと、いらぬ心配をしてしまう。夫婦そろってここまで陰気で、狂気で、トリッキィだと、何かとても恐しい日常を送っていたのではないかと……

「グリッツ」でエルモア・レナードを初めて読んだ。面白い。まだまだ世の中には面白本があるのだなあ。スティーヴン・キングはこの「グリッツ」でレナードを「発見」し、読了後ただちに本屋に走って買えるだけのレナード作品を買ったとのこと。私はそこまで興奮はしなかったが、独特のスタイルが味わい深いことは確か。登場人物が一人残らず、皆、それぞれに良い。作品自体もどこがどう良いとは言い難いのだが、すみずみまで良い。ずっと読んでいたいような爽やかさな生命力。それでいて読後、ああ面白かった、で、何も残さず本を閉じられる。

2017年7月27日木曜日

書庫の模様替え

私の生活の唯一の悩みだった、バスルームのカランとシャワーの交換が完了し、今後は何の憂いもなく毎日を過せると一安心したのも束の間、今度はこの真夏に居間のエアコンが故障。管理会社に連絡はしたものの、いつ新調できるかも分からない。

寝室と書庫にはエアコンがあるので、熱中症で孤独死することは避けられるだろうが……そうだ、書庫を書斎のような感じの居住スペースに模様替えしよう、と決断。窓を塞いでいた三つの書棚を移動させ、小さなテーブルと椅子を運び入れた。

とりあえずそれらしい感じにはなったので、暑さはこの部屋でしのぐことにしよう、と思っている。

2017年7月23日日曜日

「ブルー・ハンマー」

居間のエアコンが故障し、代替機がいつ設置できるかも目下不明で、真夏を満喫中。寝室と書庫にもエアコンがあるので、気をつけていれば熱中症の危険はないと思うが。

この土日は、定例のゼミに出席したり、知り合いの方に御自宅からの花火見物に誘っていただいて一家団欒のお邪魔をした他は、居間で冷たい発泡水を飲みながら読書など。「ブルー・ハンマー」(R.マクドナルド著/高橋豊訳/ハヤカワ文庫)を一息に読み通した。

「ブルー・ハンマー」は「縞模様の霊柩車」を古本屋で買ったら、無料でオマケにつけてくれたもの。おかげで期待せずに読んだせいか、(少なくとも読み終えた直後は)すごい傑作だと興奮した。ロス・マク流としか言いようのない冷徹な陰鬱さと、登場人物は少ないのに複雑でトリッキィなプロットのブレンドの塩梅が絶妙で、しかもどの描写もあっさりしているようで深い。ある意味では脇役だが、アーチャーが親しくなる女性記者の描写など凄みがあって、なかなかこうは書けないと思った。

ロス・マクと言えば、「さむけ」と「ウィチャリー家の女」の二作だけ読めば十分、とくらいに思っていたのだが、最後の作品でこの水準に逹しているところからして、読めるだけ読むべきかも知れない。

2017年7月21日金曜日

うぬぼれとむなしさ

われわれは、全地から、そしてわれわれがいなくなってから後に来るであろう人たちからさえ知られたいと願うほど思い上がった者であり、またわれわれをとりまく五、六人からの尊敬で喜ばせられ、満足させられるほどむなしいものである。
パスカル「パンセ」(前田陽一・由木康訳/中公文庫)より

2017年7月19日水曜日

要点

「ほかに何か話したいことがありますか」
「要点はそれだけです」
「ああ、よかった」と、彼はいった。「わたしは七十五歳で、いま二百十四点目の絵を描いているところなんでしてね。もしわたしが他人の問題に気をとられるのを防止しなければ、わたしはその絵を完成させることができないかもしれない。ですから、これで電話を切ることにしますよ。ミスター — ま、あんたの名前なんかどうでもいいや」
「ブルー・ハンマー」(R.マクドナルド著/高橋豊訳/ハヤカワ・ミステリ文庫) より

2017年7月18日火曜日

悲劇

「エレナ、人生は、あらゆる悲劇の母……いやむしろ、悲劇のマトリョーシカだよ。大きな人形を開けると、小さな悲劇が入っていて、その中にももっと小さな悲劇が……。究極的には、それが人生をおかしく見せるんだ」
「人生は美しい悲劇にもなりうるわ」
ジョナサンはうなずいた。「正しく解釈すればね」
「[時間SF傑作選] ここがウィネトカなら、きみはジュディ」(大森望編/ハヤカワ文庫)所収、「彼らの生涯の最愛の時」(I.ワトソン&R.クアリア著/大森望訳)より

2017年7月17日月曜日

三連休

三連休、と言っても隠居の身には毎日が祝日みたいなものなので、人出にぶつからないように家でおとなしくしている以上の意味はない。特に最近は猛暑らしいので、外に出ないに越したことはない。

そんなわけで、この三日間はずっと校正作業と、その合間の SF 小説読書に集中。自分の本(数学の教科書)は再校を締切より数日早く仕上げ、SF 小説は「ハイペリオン」(D.シモンズ著/酒井昭伸訳/ハヤカワ文庫)と「ユービック」(P.K.ディック著/浅倉久志訳/ハヤカワ文庫)を読んだ。

「ハイペリオン」はエンタテイメントとしてはすごく面白いのだが、SF と言うよりは SF 的設定を舞台にした娯楽作品の感。そして、盛り上げに盛り上げて、さあここから、というところで「以下は次号を乞うご期待」。次作を含めての二部作、もしくは、さらに次の二部作を含めての四部作で完結するらしい。「ユービック」は、また別の意味で、SF と言えるのかどうか…… SF のような、ミステリのような、ハチャメチャのような、精緻絶妙なような、破綻しまくりのような、兎に角、変な作品。身の周りのものが、見る見るうちにテレビが真空管ラジオになり、自動車はクラシックカーになり、と先祖帰りしていき、それを食い止められるのは、現実補強スプレー「ユービック」。なんて、もうほとんど落語では。

2017年7月12日水曜日

十の定理

今日 12 日発売の「数学セミナー」8 月号(日本評論社)の特集「分野を語る 10 の定理」で確率と統計のパートを担当した(「確率と統計を語る 10 の定理」)。

「確率・統計」とまとめて言われても、確率論も統計学もそれぞれに広大な分野であり、しかも私は確率論の専門家ではあっても統計学をほとんど知らないので、企画を聞いて「こりゃまいったな」と思ったのだが、考えれば考えるほどアイデアが発散するので、ほとんど勢いにまかせて一筆書で書いた。

諸先生方におきましては、そんなのは「確率・統計」を代表する 10 の定理ではない、私ならこう選ぶだろう等々、ご意見が色々と浮かぶことではありましょうが、ご興味のある方は、課題の難しさを想像しながら、おおどかな気持ちで、ご笑覧下さいませ。

2017年7月8日土曜日

「烈風」

胡瓜とハムのサンドウィッチと白ワインの夕食を食べながら、「烈風」(D.フランシス著/菊池光/ハヤカワ文庫)を読み始める。

残りわずか数冊の未読フランシス本の一冊。相変わらず、職業が異なるだけで本質的に全く同じ主人公(賢く、礼儀正しく、廉潔で、どこまでも忍耐強い)を用いてマンネリズムを貫いている。それでもその枠内で手を変え品を変え、高水準のサスペンスを書き続けたところが偉い。

この「烈風」の主人公は気象予報士。競馬にとって天気は重要な因子だろうから、競馬シリーズ第 37 作目にして、なるほどその手があったか、の感。私の知る限り(そして記憶が確かならば)、本シリーズで博士号を持つ唯一の主人公では。いや、医者か獣医がいたような、いなかったような。

2017年7月6日木曜日

金明竹

今朝、最近の懸案事項の一つを前進させることができたので、開放的な気分になり、と言っても私のような隠居に華やかな遊び方などないので、近所のインド料理屋で昼食をとってから、また鈴本演芸場に行く。

二ツ目の方の「金明竹」を聴きながら、ふと、横溝正史「獄門島」の「きちがいじゃがしかたがない」はこの噺からアイデアを得たのではないか、と思う。「金明竹」は「寿限無」同様に暗唱と滑舌の訓練のためよく演じられるらしいので、都筑道夫のような演芸通でなくても、横溝も一般教養として知っていた可能性は高い。

他の演目は「宗論」、「壺算」、「紙入れ」、「船徳」など。「宗論」は歌舞伎の「連獅子」同様に宗教論争の話なので、不謹慎なところが面白い。「紙入れ」は同じ噺家で二度目。得意の演目らしい。「船徳」は今日のトリ。夏らしくてよろしい。

そして今日は、私は初めて生で聴いたのだが、講談の演目があった。「四谷怪談」の前日談で、お岩誕生の因縁話。これまた夏らしい。

2017年7月3日月曜日

七月大歌舞伎初日

ほぼ猛暑日と言ってもいいほど高温の真夏日にぶつかってしまったが、歌舞伎座へ。昼の部を観劇。

「矢の根」は曽我五郎に右團次、曽我十郎に笑也など。漫画的な一幕だが、荒事はそういうものだと目出たく観る。「加賀鳶」は道元に海老蔵、松蔵に中車など。やはり黙阿弥は台詞がいい。名調子を聞かせますよという風な、くどめの台詞まわしが私は好きだが、海老蔵と中車はあっさり流してしまう感じ。「連獅子」は右近左近と親子獅子の精に海老蔵と巳之助、僧の二人に男女蔵と市蔵。僧の二人のかけあいが軽妙で楽しい。踊りの良し悪しは私には良く分からない。

昼の部はわりと空いていたが、おそらく夜の部の「駄右衛門花御所異聞」の方が人気だからだろう。

2017年7月1日土曜日

碩鼠

月末、四半期末なので、家政の状況のまとめ。引退された方は皆、経験していることなのだろうが、税金と社会保険料に吐息一つ。理屈では分かっていたので、予測通りではあり、実質的な問題はないものの。

「詩経」に「碩鼠碩鼠、我ガ黍ヲ食ムコト無カレ」とあったのは、なるほど、このことを歌っていたのである。または、「兎アリ、爰爰タリ。雉、羅(あみ)ニ離(かか)ル」、かも。百姓民草の気持ちは洋の東西、古今を問わず。

2017年6月29日木曜日

湯ノ盤

湯の盤の銘に曰く、苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり。
「大学」、第二章より

2017年6月27日火曜日

数学を勉強する楽しさ

何の足しにもならない趣味として、平日の毎朝、数ページずつ読んでいた「数理論理学」(鹿島亮/朝倉書店)を今朝、読了した。親切かつ優しい解説で、非常に読み易かったし、直観主義論理やクリプキモデルのところが特に面白かった。

やはり数学は入門のところ、つまり、未知の分野の初歩を勉強するのが一番、面白い。研究が仕事の専門の数学者になると、まだ誰も知らない未踏の荒野を探索するという本格的な楽しさがあるわけだが、ある意味でそれは大人の楽しみというか、トータルでは苦さや辛さや虚しさや自己嫌悪の方が大きいくらいの楽しさである。ピアノって楽しいですかとピアニストに訊くようなもので、そういう問題じゃないのである。しかし、一方、未知の分野に入門するのは子供の、無邪気な、楽しいばっかりの楽しさだ。

「いやあ、面白いことを考えるもんだね、なるほど、こうなるのか、とするとこうなるんだろう、え、そうなのか、なるほどなあ、じゃあこんなことも言えるのか」、なんてやっていれば良いわけで、この段階で自分で導くことなんてずっと昔に誰かが証明済みで、その分野では既知も既知、誰でも知っていることなのだが、それはそれで全然構わないわけだ。面白いから勉強しているだけなので。

明日からは「ベーシック圏論」(T.レンスター著/斎藤恭司監訳・土岡俊介訳/丸善出版)を読む予定。もちろん、圏論のことはほとんど何も知らない。つまり私は「蛇の補題」とかを再発見しちゃうかも知れないわけだ。

2017年6月23日金曜日

人生の独立

人が頭に思想を持ち、グラスにワインがあるならば(これは人生の独立を表現するのに私が気に入っているやり方である)、わざわざ他人の前に足を投げ出すには及ばない。行きたまえ。というよりむしろ、行かないでいたまえ。
「高貴なる人々に贈る言葉」(バルベー・ドールヴィイ著/宮本孝正・編訳)より

2017年6月21日水曜日

居場所

天才の持つ最高の能力は、自分の居場所を変える能力、ならびにその不可能性、だ。
 「高貴なる人々に贈る言葉」(バルベー・ドールヴィイ著/宮本孝正・編訳)より

2017年6月20日火曜日

アフォリズム

村上春樹がどこかで「教訓」が好きだと書いていたように思うが、私はアフォリズム(aphorism, 箴言)が好きだ。最近お気に入りの箴言集は、以下の二冊。

"The Bed of Procrustes" (N.N.Taleb / Random House), 「高貴なる人々に贈る言葉」(バルベー・ドールヴィイ著/宮本孝正・編訳)。


2017年6月18日日曜日

「哀れなベルギー」

万事が猿まねだ。
あらゆる分野での「日本人」の驚くべき思いあがり。
服従と付和雷同の気質。
かくてこの国では、弱者に対する「いじめ」ほど、流行っていて受けもよく、まっとうなことはないのである。
「日本」国民以上に付和雷同向きになっている国民はあるまい。この国では集団でものを考え、集団で娯楽を楽しみ、集団で笑う。「日本人」たちは、ひとつの意見をみつけだすために集団を結成する。だから、自分たちと違った意見を持つ人々に対して、彼らほど驚きや軽蔑を感じる者はいないだろう。
みんなが商人だ。
人と一致しないことは大きな罪だ。
「ダンディ」(R.ケンプ著/桜井哲夫訳/講談社現代新書)、桜井哲夫「プロローグのプロローグ」より

2017年6月15日木曜日

食前の祈り

美術展は会期終了間際にならないと行かないものだ。重い腰を上げて、森タワーでの「大エルミタージュ美術館展」を観に行く。

シャルダンの「食前の祈り」が観たかっただけなので、他のほとんどの作品はざっと眺めたのみ。この絵はルーブルにあるものだと思っていたのだが、別のヴァージョンをエルミタージュが持っているとのこと。構図は全く同じだが、制作年が左隅に描き込まれていることや、床にフライパンが置かれていることなど若干の相違点がある。

2017年6月14日水曜日

明烏の甘納豆

この前、「八五郎出世」で泣かせてもらった、さん喬師匠がまた上がってるな、と思い、鈴本演芸場に行く。今日の噺は「そば清」。落語らしい馬鹿馬鹿しさがよい。主任は春風亭一之輔で「明烏」。名人上手という感じではないが、笑わせるのが巧い。どこまで御本人のアレンジか分からないが、そこが面白かった。

それはさておき、「明烏」は下げに近い部分に出てくる甘納豆のエピソードが何故か妙に可笑しい。お固くてうぶな若旦那を吉原に連れ込んだ二人の悪が、一夜明けて若旦那を起こしに行く途中、一人が甘納豆を見つけて食べる。どう考えてもこの部分は不用なのだが、型としてずっと演じられているらしいことからして、やはり不可欠のスパイスなのだろう。

終わったあとは、「そば清」に因んで近所の蕎麦屋へ。まだ早い時間なので、客は誰もいない。冷やを一合たのんで、天せいろ。

2017年6月11日日曜日

狂気と天才

昨日、定例のゼミに出席したついでに、東京ステーションギャラリーで開催中の展覧会「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」を観た。展示されている作品だけでも圧倒されるが、これを何万枚もの絵物語に描き続けた首尾一貫性が怖い。狂気と言うべきか天才と言うべきか。

最近思うのだが、天才の本質はその首尾一貫しているところではないか。基本的に凡人には首尾一貫した見解や、生き方の方針がない。大体において、毎日をその場限りの反射と妥協と曖昧さで生きているものだ。G.K.チェスタトンが、狂人とは正気が足らない人ではなくて正気過ぎる人のことだ、と言うようなことを書いていたと思うが、まさに狂人と天才は正気過ぎるのだと思う。

ヴェルフリの複利計算の表と世界征服計画の絵などを観ていると、夢見がちなデイトレイダとか起業家の妄想と大差ないのだが、それがここまで徹底しているところが怖い。資本主義は本質的に精神病と関係があるに違いなくて、正気過ぎる人はこうなってしまうのかも知れない。

2017年6月7日水曜日

六月大歌舞伎

白ワインを水筒に詰め、銀座三越のサンドウィッチ屋でお弁当を調達して、歌舞伎座へ。「六月大歌舞伎」の夜の部を観劇。

「鎌倉三代記」絹川村閑居の場は、三浦之助義村に松也、佐々木高綱に幸四郎、時姫に雀右衛門など。先代の雀右衛門も好きなタイプではなかったのだが、当代の雀右衛門も全く同じ感じ。正しく芸を継承していると言うことかも。

「曽我綉俠御所染」は御所五郎蔵に仁左衛門、星影土右衛門に左團次、皐月に雀右衛門、逢州に米吉など。仁左衛門の若々しさが驚異的だが、役不足の感もあり。

最後は「一本刀土俵入」だったが、十時には就寝の私にとっては遅過ぎる時間なので、観ずに帰る。

2017年6月6日火曜日

自由な死について

多くのものはあまりに遅く死ぬ。ある者たちはあまりに早く死ぬ。「死ぬべき時に死ね」、という教えはまだ耳慣れまい。
死ぬべき時に死ね。ツァラトゥストラはそう教える。
むろん、生きるべき時に生きなかった者が、どうして死ぬべき時に死ねよう。そのような者は生まれて来なければよかった。— わたしは余計な者たちにそう説く。
F.W.ニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」(佐々木中訳/河出文庫)より

2017年6月5日月曜日

books are robust

From my experiences of the Lebanese war and a couple of storms with power outages in Westchester Country, New York, I suggest stocking up on novels, as we tend to underestimate the boredom of these long hours waiting for the trouble to dissipate. And books, being robust, are immune to power outages.
from "Antifragile" by N.N.Taleb

2017年6月4日日曜日

Going Gently Down

 By the time you get sixty (I think) the brain is a place of incredible resonances. It's packed full of life, histories, processes, patterns, half-glimpsed analogies between a myriad levels -- a Ballard crystal world place. One reason old people reply slowly is because every word and cue wakes a thousand reference.
 What if you could free that, open it? Let go of ego and status, let everything go and smell the wind, feel with your dimming senses for what's out there, growing. Let your resonances merge and play and come back changed ... telling you new things. Maybe you could find a way to grow, to change once more inside ... even if the outside of you is saying, "What, what?" and your teeth smell.
 But to do it you have to get ready, years ahead. Get ready to let go and migrate in and up into your strongest keep, your last window out. Pack for your magic terminal trip, pack your brain, ready it. Fear no truth. Load up like a river steamboat for the big last race when you go downriver burning it all up, not caring, throwing in the furniture, the cabin, the decks right down to the water line, caring only for that fire carrying you where you've never been before.
 Maybe ... somehow ... one could.
from "Going gently down, or, in every young person there is an old person screeming to get out" by James Tiptree Jr.

2017年5月31日水曜日

Quantum Computing since Democritus

今朝、"Quantum Computing since Democritus" (S. Aaronson / Cambridge) を読了。一年くらいかかったように思ったが、読書メモを参照するとまる二年以上を費していた。

私がこれまで読んだ一般読者向けの科学啓蒙書の中では、最も知的な本だった。計算複雑性の理論の入門書(?)なのだが、本当に分かっている人はこんなに色んなことと自分の研究分野がつながって、しかもすっきりと見えているのだなあ、と感心。

この "Quantum ..." より知的なのは、おそらく "The Road to Reality" (R. Penrose / Vintage) くらいか。ただし、私はこの本を途中で挫折して、四分の一程度しか読んでいないので、定かではない。暇だし、再挑戦してみようか。

しかし、"The Road to Reality" が "The Sunday Times Top Ten Bestseller" って本当なのだろうか。"Times" の購読者は一体どこまで知的なんだ。

2017年5月27日土曜日

最大の悩み

昨日、夕方から白金台のホテルの中国料理屋にて、社員や元社員の皆さんから私の慰労会をしていただく。まだ(非常勤の)役員をしているので歓送会とまではいかないが、代表兼社長は退いたので、これまでお疲れ様でしたということで。先代の社長からは結構な白ワインをお祝いにいただいた。

実際のところ、私が代表兼社長を勤めたのは二年と三ヶ月ほどだし、それも大会社の社長とは違って気楽な上に暇で、社員の皆さんにお疲れ様と言っていただけるほどのものでは全然なかったのだが、何にせよ、私からすればありがたくも恐縮であった。

隠居して毎日何をしているんですか、と良く訊かれるのだが大抵、「いろいろ」と答えている。実際いろいろなのである。つけ加えて、「こんな幸せなことはなかった」とも言っている。ショーペンハウアーの「幸福について」に、自由とは朝な朝なに今日の一日は私のものだと言い切れることだ、と書かれていたように記憶しているが、実際、毎朝、さて今日は何をしようかなあ、と思う毎日である。また同書に、その人が幸せかどうかは悩みがいかにささやかでつまらないものかで分かる、とも書かれていたと思う。私の今の最大の悩みは、浴室のカランの水の出が悪いことである。

2017年5月25日木曜日

落語とブラッドベリ

月末締切の原稿もほぼ上げたし、ヴェランダのタイルも復旧させたしと、今週は思いがけなく作業が捗ったので、午後はまた落語を聴きに行こう。と、おむすび(沢庵と海苔)と茹で卵とお茶と「火星年代記」(ブラッドベリ著/小笠原豊樹訳/ハヤカワ文庫)を持って家を出る。鈴本演芸場の五月下席、昼の部。

主任の柳家さん喬の「八五郎出世」が感動的だった。泣かせる。良く知らないが、きっと名人に違いない。トリ以外では柳亭小燕枝の「小言幸兵衛」が良かった。歌舞伎の道行の台詞の真似が本当の歌舞伎役者みたい。いや、下手な役者よりうまいくらい。

帰宅して湯船で「火星年代記」の続き。これってまるで落語だな、と思った一日。第二探検隊の顛末なんて、落語以外の何ものでもない。そう思うと実は、ブラッドベリはどの作品も落語なのではないか……と帰宅してからずっと考えている。


2017年5月22日月曜日

失われた本を求めて

裏長屋の隠居とは言え、あまり家に籠っていては身体に悪いかなと思い、外出。近所のインド料理屋でランチを済ませてから、日本橋に映画「メッセージ」を観に行く。テッド・チャンの短篇「あなたの人生の物語」の映像化。そのあと、神保町に行って、古書店巡りと珈琲屋での一服。

古書店で思いがけない本を見つけて、文字通り小躍りしてしまった。私が中学生の頃、ミステリ小説の愛好家だった叔父から譲り受けた中にあったもので、ミステリと SF の世界への道案内をしてくれた思い出深い一冊である。しかし、いつの間にか紛失してしまった。

遠い昔のことなので、タイトルも著者も忘れてしまい、ミステリと SF の両方をテーマ毎に面白おかしく紹介している、日本人の SF 作家が書いている、文庫本である、くらいの記憶しか残っていない。もちろん、今ではインタネットで小一時間も検索すれば判明するのだろうが、いつか偶然に古本屋の軒先の百円均一棚で見つけることもあるだろう、と再会を楽しみにしていたのである。

そして今日、百円均一棚ではなかったが、古書店の棚に発見。背中を見たとたんに、「もしやこれでは!」とビリッと来た。そして、手にとると確かに見覚えのある表紙。それは「夢探偵」(石川喬司著/講談社文庫/「SF・ミステリおもろ大百科」(早川書房)の改題)であった。

2017年5月19日金曜日

演芸場に遊ぶ

知り合いにお誘いいただいて、上野鈴本演芸場の昼の部に行く。お酒を飲みつつ、落語やその合間の紙切りや独楽の曲芸など。意外に沢山の客が入っていた。古典落語は「金明竹」、「紙入れ」、「へっつい幽霊」など。やはり生で聴くのは良いものだ。

ご一緒した方が邦楽に詳しく、紙切りでお題をもらって切る間の三味線のお囃子は、長唄からそのお題にちなんだ曲を弾くことが多い、などと色々と教えてもらう。例えば、お客が「○子様の婚約発表」というお題を出すと、曲は「鶴亀」だったりする。その場で咄嗟に弾くのだから、大したものだ。世の中には名も顔も知られぬ名人がいる。しかし、「バナナ」とか「象さん」とか求められたらどうするのだろうか。

噺家の出囃子も長唄からとることが多いようだ。丁度、三味線漫談では昔の有名な噺家の出囃子を弾いてみせたりしていて、なかなか勉強にもなった。

夕方終わって、近所の蕎麦屋で軽く食事してから帰る。お酒も入って良い気分で、三味線漫談で聴いた「東雲節」など口遊みつつ、帰宅。

2017年5月16日火曜日

悲観と楽観

「科学者というのは、悲観的な人間です。真賀田博士も科学者ですし、世界一の天才なのですから、世界中の誰よりも悲観しているはずです。楽観しているのは、計算をしない幸せな凡人たちよ」
「ジグβは神ですか」(森博嗣著/講談社文庫)より

2017年5月14日日曜日

神楽坂にて諸々記念の宴会

午後は定例のデリバティブ研究所部会自主ゼミ。夕方からの宴会のため、今回は日曜日午後開催。重川「確率解析」。Littlewood-Paley-Stein の不等式の証明のつづきを K 先生が発表。今日は関西から T 先生も上京の他、この分野の大御所 K 岡先生も参加されて大変に充実。流石、K 岡先生は歴史的な背景をふまえた深いコメントをされていた。

夕方より神楽坂のイタリア料理屋にて、I 先生の東京在住一周年の記念、K 先生らの非営利団体設立の記念、ついでに私の隠居も記念していただいての宴会。K 岡先生、T 先生に加え、TK 大の N 先生も宴会から参加。華やかであった。

最後のデザートの選択肢に季節のホワイトアスパラガスの一品があったのだが、ついデザートにアスパラはいかがなものかと保守的に考え、無難にチョコレートを選んでしまったことを今、後悔している。

2017年5月12日金曜日

若いものと年老いたもの

若いものには、美しく生きるように、また、年老いたものには、美しく生を終えるように、と説き勧める人は、ばかげている。なぜなら、生きるということがそれ自体好ましいものだからであるばかりでなく、美しく生きる修練と美しく死ぬ修練とは、ひっきょう、同じものだからである。
「エピクロス —教説と手紙—」( 出隆・岩崎允胤訳/岩波文庫)、「メノイケウス宛の手紙」より

2017年5月10日水曜日

the more data you get, the less you know

To conclude, the best way to mitigate interventionism is to ration the supply of information, as naturalistically as possible. This is hard to accept in the age of the Internet. It has been very hard for me to explain that the more data you get, the less you know what's going on, and the more iatrogenics you will cause. People are still under the illusion that ``science" means more data.
from ``Antifragile" by N.N.Taleb

2017年5月5日金曜日

蘭とビールとミステリと

今日もいつもと同じく平穏無事に、そして適度に(私自身にとっては)生産的な一日を過して、夕方。蘭と、ビールと、レックス・スタウトの短篇「殺人鬼はどの子?」。

温室一杯の蘭の世話係と、料理人兼家事係と、助手の三人を雇えるほど財産を蓄えてから隠居できなかったのは心残りだが、そのつもりならメトセラくらい長生きをする必要があったろう。それなりの幸せで満足することを知ることが大事だ。

でも秘書の一人くらい雇えるまで頑張っても良かったんじゃないかなあ、と思わないでもない。

2017年5月3日水曜日

死と自由

死についてあらかじめ考えることは、自由について考えることにほかならない。死に方を学んだ人間は、奴隷の心を忘れることのできた人間なのだ。いのちを失うことが不幸ではないのだと、しっかり理解した者にとっては、生きることに、なんの不幸もない。死を学ぶことで、われわれは、あらゆる隷属や束縛から解放されるのである。
「エセー」(モンテーニュ著/宮下志郎訳/白水社)、「哲学することとは、死に方を学ぶこと」より

2017年5月2日火曜日

ある日の晩酌

賀茂鶴、筑前煮、「EQ」(May '89, No. 69)よりレックス・スタウト「死の扉」(本戸淳子訳)。

2017年4月29日土曜日

真理採掘

数学的概念を把握する唯一の手段は、それをいくつもの異なるコンテクストの中で見、何ダースもの具体例について考え抜き、直感的な結論を強化するメタファーを最低ふたつか三つ見つけることだ。
「ディアスポラ」(G.イーガン著/山岸真訳/ハヤカワ文庫)より

2017年4月28日金曜日

一子相伝

隠居だってプレミアムなフライデイなるものをしてみんとす。神保町でランチを楽しんでから(昼間に飲むビールはうまい)、竹橋まで散歩。今日は暑いと言うほどでもなく、丁度良い陽気の散歩日和だ。

東京国立近代美術館で開催中の展覧会「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」を観る。初代長次郎から現代まで代々の作品が順に並べられているので、その発展が興味深い。しかし、正直に言って、私には当代の茶碗の良さが全く分からなかった。先代までは理解できないながらも何となくすごい、ただものではない、という感じが伝わってくるのだが。もちろん私の目が低いせいだろう。

ついでに所蔵作品展なども一通り観たら、午後一杯楽しんでしまった。MOMAT もやはりなかなかいいものを持っている。夕方帰宅。

2017年4月27日木曜日

Which flower?

``The flower a woman chooses depends on the woman. The flower a man chooses depends on the flower."
by Nero Wolfe, from ``Why Nero Wolfe likes orchids" (Rex Stout) in ``Life" (19 April 1963 issue)

2017年4月25日火曜日

antifragile

I want to live happily in a world I don't understand.
from ``Antifragile" (N.N.Taleb / Random House)

2017年4月23日日曜日

幸福の定義

「十五歳のときに欲しいと思ったものが五十歳になって全部手に入ったら、そいつが幸福ってものさ」

「虎よ、虎よ!」(A.ベスター著/中田耕治訳/ハヤカワ文庫)より

2017年4月22日土曜日

盲亀の浮木

午前中は、定例のデリバティブ研究部会自主ゼミ。メインスピーカの代打として、私が単発もので発表。ガウシアン相関予想を解決した T.Royen の論文を紹介した。解かれてみれば自然なアイデアに思えるが、なかなか思い付き難い一般化が Royen 得意の分野の知識に結びついているので、ある種、「盲亀の浮木」的な出会いものなのでは。

このガウシアン相関予想(Gaussian Correlation Conjecture; GCC)には、二十年ほど前のこと、私の先生が解けたと思って大喜びした途端、間違いが指摘されてがっかりしていた、という思い出がある。その証明はすっかり忘れてしまったが、Royen の証明のポイントがランダム行列を通したラプラス変換表現にあることからして、実はいい線を行っていたのかも知れない。

参加者によるゼミの後のランチは、タイ料理のビュッフェ。発表で喉が乾いた、という理由をつけてシンハービール。タイ料理とビールの相性は最高。

「暇であることについて」

わたしは最近になって、残されたわずかな余生を、世間から離れてのんびりとすごそう、それ以外のことには関わるものかと心に誓って、わが屋敷に引っ込んだ。というのも、そのとき、わたしが精神にしてやれる恩恵といったら、それを十分に暇なままに放っておいてやって、みずからのことに心をくだき、みずからのうちに立ち止まって、腰をすえさせてやること以上のものはないように思われたのである。そうすれば、いずれ時間とともに、精神もずっしりとしてきて、円熟味をまし、もっとたやすく自己のうちにとどまれるのではないのかと待ち望んでいたのだ。ところが、気づいてみると、《暇は、いつだって精神を移り気にしてしまう》(ルカヌス「内乱」四の七〇四)のであった。わが心は、放れ馬のようにあばれまわり、他人に対してより、はるかに自由奔放にふるまってしまうのである。そしてわたしのうちに、たくさんの風変わりなまぼろし(シメール)やら化け物(モンストル)を、わけもなく無秩序に、次々と生み出してくるものだから、そのばからしさや異常さを、ゆっくり観察してみようとして、わたしはそれらの目録を作り始めたのだった — いずれ時間がたったら、わが精神に、このことで恥でもかかせてやろうと思って。
「エセー」(モンテーニュ著/宮下志郎訳/白水社)、「暇であることについて」より
 

2017年4月19日水曜日

低温調理

夜は E 社の N 社長からのお誘いで、私の隠居を記念しての会食。新宿三丁目の謎の会員制バーのような店にて。牛肉の希少部位を低温調理したもののコース。低温調理も良いが、やはり肉はじゅうじゅう焼いて食べたい気もする。最初のユッケが一番美味しかったかも。スパークリングのあとボルドーの赤ワインを一杯だけ。N さんはどうやら最近飲み過ぎらしく、ちょっと心配である。

林類歳且ニ百歳ナラントス

子貢曰く、先生少(わか)くして行を勤めず、長じて時に競わず、老いて妻子なく、死期将に至らんとす。亦何の楽があって、穂を拾うて行〻歌うやと。林類笑って曰く、吾が楽となす所以のものは、人皆之あれども、反って以て憂とするなり。少くして行を勤めず、長じて時に競わず、故に能く寿きこと此くの若し。老いて妻子なく、死期当に至らんとす、故に能く楽しむこと此くの如し。

「列子」(小林勝人訳注/岩波文庫)、「天瑞第一」より

2017年4月14日金曜日

歌舞伎座で花見

天気も良いことだし歌舞伎座に行ってみるか、と突然思い立つ。隠居の身分で贅沢は禁物だが、家はなし、妻子はなし、芸者をあげるでなし、博打をうつでなし、これくらいの道楽は許されるだろうと思い、今月も歌舞伎座へ。「四月大歌舞伎」昼の部。「醍醐の花見」、「伊勢音頭恋寝刃」、「一谷嫩軍記」(熊谷陣屋)。

今年は特に花見に行かなかったので、持ち込んだ日本酒を飲みながらの「醍醐の花見」がその代わり。鴈治郎の秀吉がパタリロ的な愛らしさ。「伊勢温度恋寝刃」は福岡貢に染五郎、万野に猿之助などで若々しい配役ゆえにか、あっさりし過ぎているように思えた。そのせいか、実は途中で寝てしまったのだが。熊谷陣屋を観るのは何度目だろう。今回は直実に幸四郎、相模に猿之助など。可もなく不可もなくだが、これも猿之助向きの役ではないような。

偶然、劇場内で知り合いの長唄の師匠に会う。旦那さんが舞台で三味線を弾いているので、中日の様子を観に来た模様。幕間に「めでたい焼き」をいただいたり。鯛焼の中に紅白の餅が入っていてめでたい。舞台が終わったあと、歌舞伎座すぐ近くの店でお二人の「反省会」にお付き合いする。熊谷陣屋の最後の送り三重についてなど、舞台側からのお話が色々と聞けて楽しかった。

夕方お別れして、近所のスーパーで週末の朝食用のフルーツ、花屋で観葉植物を買って帰宅。昼にあれこれ食べ過ぎたので夕食は盛り蕎麦とお茶だけ。

2017年4月8日土曜日

日本橋の桜

定例のデリバティブ研究部会自主ゼミ。予定スピーカの急用のため、代打として A 先生が「確率空間の圏」について話された。数理ファイナンス的な動機から、圏論を確率論に応用する野心的な試みで、なかなか興味深かった。

次回の再来週もメインスピーカが話せないときの保険をかけておこうということになり、一番暇な私が手を上げる。最近、ガウシアン相関不等式(GCI; Gaussian Correlation Inequality)の予想を解決した論文を読んでいるので、その話ならできそうだと思って。

参加者によるゼミ後のランチは洋食屋にてオムライス的な料理。店までの道程は、こんな街中なのに沢山の桜が満開。その下で花見をしている人々までいた。

最近、週末になると名作 SF 長編を読んでいる。今回は「夏への扉」(R.A.ハインライン著/福島正実訳/ハヤカワ文庫)。

2017年4月5日水曜日

普通の一日

寝床で「古楽の楽しみ」を聞いて、7 時に起床。猫に水とキャットフードをやり、サンセヴェリア(Sansevieria Ehrenbergii Samurai Dwarf)を観察して、自分にはヨーグルト。一息ついてから納豆定食を作る。朝食のあと珈琲を飲みながらメイルをチェックして、"Wheelock's Latin" でラテン語の勉強と、Aaronson の "Quantum Computing since Democritus" を 30 分ずつ。そのあと顔を洗って、着替えをし、お茶を入れて、午前中は原稿仕事。お昼時になったので、ランチがてら区役所に印鑑証明をもらいに行く。散歩に最適の好日。区役所は満員御礼。どうやら新年度で転入手続きの類が殺到しているようだ。とは言え、「死は万病を癒す薬」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ・ミステリ 1830)を一、二章読んでいるうちに済んだ。カレー屋の前に行列が出来ていたので、近くの新刊書店で暇つぶし。平凡社ライブラリーのフェア中。色々眺めた結果、「園芸家の一年」(カレル・チャペック著/飯島周訳/平凡社ライブラリー)を買った。人の波がひいたカレー屋で昼食をとり、歩いて帰宅。午後も原稿仕事。夕方になり、風呂。湯船の読書は、"Too Many Clients" (R.Stout / Bantam)を読み終えたので、「死は万病を癒す薬」の続き。夕食の支度。鯛のあらを使った鯛飯と、葱と油揚げの赤だし。夜は「園芸家の一年」など。生ハムとチーズとワインを少々。

2017年4月2日日曜日

「大都会隠居術」

学生時代、と言っても二十そこそこの頃だが、「大都会隠居術」(荒俣宏編著/光文社)を読んで、そうだこれが私の望んでいた生き方だ、と思ったものである。私は元来老人臭い子供だったが、さらに言えば「隠居」に憧れていた。この本は隠居をテーマにしたアンソロジで、その心構えや実践の智恵を編者が指南する、という格好になっている。要点を一言で言えば、「隠居とは凡人に実現可能な唯一の自由な生き方であり、その奥義は老いることに他ならない」とでもなろうか。

中国の故事によれば、かつて世に稀な大天才がいたのだが、二十歳で心朽ちてしまったと言う。すなわち二十で老人になった。その後どうしたか誰も知らないのは、つまり隠居して幸せに暮らしたのだろう、少なくとも本人は。もちろん、これは稀代の天才にして可能な技である。この本を編んだ荒俣氏は当時、四十五歳。確かにその後は仕事らしい仕事をしていないので、隠居に成功したのだろう。私の場合は、それから修行を積むこと四半世紀余り、そして今漸く隠居したのだが、荒俣氏より少し時間がかかった。

今日久しぶりにこのアンソロジを読み返したのだが、漸くにしてこれを面白く読めるようになっていた。昔は正直に言って、荒俣氏の文章は愉快であるものの、集められている文章の方はさほど楽しめなかった。しかし今、面白い。最後がピーター・S・ビーグルの「心地よく秘密めいたところ」とボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」からの抄訳で締められているところなんて、すごくいい。